2024年11月04日 07:08
11月3日(日)は懐かしい兄姉たちを偲んでの永眠者記念礼拝でした。前日の土曜日は雨が強く降っていましたが、日曜の朝は晴天となりました。宣教はヨハネによる福音書11章17~27節より「死んでも生きる」と題して藤垣牧師より。礼拝後、召された牧師・兄姉のご家族と共にささやかな食事会をしました。それぞれの思い出話に懐かしさがこみあげて、和やかな談笑のひとときでした。水元教会の30年間には、このような牧師・兄姉の方々の労と祈りがあったことを忘れることが出来ません。私たちは、またいつか皆様と天の国でお会い出来ますことに希望をもって今を歩んで生きたいと思いました。
2024年10月28日 18:42
2024月10月2日 水元教会は創立30周年を迎えました。1994年の創立当時は、ここから数分歩いた西水元の齊藤牧師宅での「水元・家の教会」としてスタートしました。1996年に「日本基督教団 水元伝道所」開設。2005年に現在地に教会堂を購入しました。現在の会堂での最初の礼拝は2005年3月27日(日)のイースター礼拝でした。そして、2019年6月11日に東京都庁より「宗教法人 日本基督教団...
2024年10月15日 07:04
10月14日(月・休日)は、近隣四教会(金町・北千住・堀切こうとう・水元)の合同修養会が行われました。会場は、2月に会堂が新しくなった堀切こうとう教会です。時間は、朝10時から午後2時までした。朝、9時過ぎに会場の堀切こうとう教会へ行くと、1階の食堂キッチンでは、なにやら酢飯のおいしそうなにおいが・・・(^^)/ もう昼食準備が始まっていました。堀切こうとう教会の皆さま、ありがとうございます。10時半 修養会開始◎礼拝 聖書:エフェソの信徒への手紙4章1~3節 讃美歌:411番(うたがい迷いの) 奨励は金町教会の川名基牧師から、ご自分の幼いころからのお証を通して、 今は神から牧師として生かさ
2024年10月15日 06:10
聖書 ヨハネによる福音書8章1‐11節 この聖書の個所は、皆さんもよくご存じのお話です。この章に入る前、つまり7章でイエスの話に多くの人が引き寄せられた様子が記されていますが、このことに危機感を感じた律法学者、ファリサイ派の人々がイエスを訴えようと口実を考えたのです。そこに姦通の現場で捕られられた女性が連れてこられます。そして5節「こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」とイエスに質問をしました。しかしイエスは何も答えませんでした。しかし、彼らがしつこく問い続けるので答えます。7節「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、
2024年10月06日 04:52
聖書 使徒言行録1章6-8節
8節「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」この聖句は使徒言行録の中心聖句です。なすべき使命が何かという話がここから始まります。復活して生きておられるイエスが、聖霊を通して弟子たちを通して主の働きを継続されます。つまりキリストの証人となって活動することが弟子たち、あるいは教会が、この地上でキリストの代理人として働くということです。地理的にはエルサレムから始まります。初代教会が誕生したのはエルサレムです。イエスを拒否した祭司、律法学者たちが権威を
2024年09月29日 04:41
聖書 ヨハネによる福音書7章40-52節
今日の個所のキーワードは対立です。評価が割れました。一つは「この人は本当にあの預言者だ」この場合、モーセのような預言者が登場します。二番目は「この人はメシアだ」と評価した人がいた。三番目は「ガリラヤ出審なのでメシアではない」という人がいた。聖書の預言を知っている人は、ダビデの子孫はベツレヘムから出ると言い張ります。イエスはガリラヤ出身だと思い込んでいました。44節「その中にはイエスを捕らえようと思う者もいたが、手をかける者はなかった。」なぜイエスを捕らえなかったか。まだイエスの時が来ていなかったからです。神の御心の時は、これから半年後の十字架でした。
2024年09月24日 17:46
神様は教会を守り導いてくださいました。恵みに溢れる歩みであったと思います。30周年を迎え、これからも日本の福音のために、また平和のために祈っていきたいと思います。 記念礼拝 日時:2024年10月27日(日) 10時半~ 宣教:「恐れるな」 河合裕志牧師 (新横浜教会牧師) 聖書:マルコによる福音書6章45~52節 ♡礼拝後2時頃まで、ささやかな感謝会をいたします。
2024年09月22日 15:23
聖書 ヨハネによる福音書7章37-44節
38節に「わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」とあります。「その人の内から」の「内」とは私ども人間の存在の中に宿っているもの、人間の内面、または心という意味です。わたしたちの肉体を含めたわたしどもの存在の中から、水が流れ出てくる。それは何よりも主イエス御自身について言えることです。主イエスは肉体を持つ存在として来てくださった。そのイエスの肉体が十字架につけられた時、主イエスのお体から血と水が流れ出たとあります(ヨハネ19:34)。38節に出てくる「生きた水」とは命の水と置き換えることがで
2024年09月15日 14:16
聖書 ヨハネによる福音書7章25-36節
先週の続きですが、エルサレムの宗教指導者たちはイエスを逮捕し殺そうとする計画をもってました。彼らは内密にしているつもりでしたが、エルサレムの住民は公然と知っていました。ですから、イエスが逮捕されないで自由に動いているので住民たちは驚いています。28節「すると、神殿の境内で教えていたイエスは、大声で言われた。『あなたたちはわたしのことを知っており、また、どこの出身かも知っている。わたしは自分勝手に来たのではない。わたしをお遣わしになった方は真実であるが、あなたたちはその方を知らない』」と言われました。イエスが誰か、イエスがどこの出身かを知っているが、そ
2024年09月08日 15:01
聖書 ヨハネによる福音書7章10-24節
15節で「ユダヤ人たちが驚いて、『この人は学問をしたわけでもないのに、どうして聖書をこんなによく知っているのだろう』」という質問をしました。このユダヤ人とは宗教的指導者たちです。イエスの言葉を聞きながら驚いています。これを聞いてイエスは応答します。16-17節「イエスは答えて言われた。『わたしの教えは自分の教えではなく、わたしをお遣わしになった方の教えである。この方の御心を行おうとする者は、わたしの教えが神から出た者か、わたしが勝手に話しているのか、わかるはずである。』」イエスの答えの中心は「わたしの教えは、わたしをお遣わしになった方の教えである」。