記事のアーカイブ

2024年09月01日 18:34

2024.9.1 宣教「不信仰なイエスの兄弟」

聖書 ヨハネによる福音書7章1-9節  イエスが弟子たちを訓練している話が続いています。この場所はイスラエルの北の方にあるガリラヤです。訓練の内容は、迫害の中でどのように生きるかという内容に移行していきます。ファリサイ人が嫉妬を覚えイエスを迫害するようになりました。だからイエスはガリラヤに来られました。ガリラヤでのイエスの活動は大変な人気になりました。しかし、あるメッセージをきっかけに多くの弟子たちが水が引くようにイエスのもとからいなくなりました。それは、6章53節「イエスは言われた。『はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない』。」こういう話になった
2024年08月25日 04:34

2024.8.25 宣教「永遠の命の言葉」

聖書 ヨハネによる福音書6章60-71節 66節に「このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった」とあり、67節に「そこで、イエスは十二人に「あなたがたも離れて行きたいと」と言われた」とあります。ここに出てくる「弟子たちの多くが離れ去り」とは、12人とば別の弟子です。多くの人がイエスの前から立ち去った。そのきっかけとなるのは、前回の53節に記されている「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない」という主イエスの言葉につまずきました。そこで、60節「ところで、弟子たちの多くの者はこれを聞いて言った。『実にひどい話が。だれがこん
2024年08月18日 04:15

2024.8.18 宣教「わたしの肉、わたしの血」

聖書 ヨハネによる福音書6章52-59節  この個所には「わたしの肉を食べ、わたしの血の飲む者」という言葉が繰り返されています。この言葉は、比喩的であり強く激しい言い方で使われています。ユダヤ人たちは血を食べてはいけないとモーセの律法で教えられていました。ですから、このイエスの言葉に戸惑い衝撃を受けました。しかし、イエスの血が贖罪の死であることが分かり、その意味を受け入れるならば、この疑問は解けます。イエスは「命のパンを食べるなら、永遠の命が与えられる」と語られました。その言葉は理解できませんでした。53節「イエスは言われた。『はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなた
2024年08月13日 08:19

2024.8.11 宣教「ダメ元ではなかった」

聖書 旧約聖書ヨブ記28章20~28節   新約聖書ヨハネによる福音書7章40~52節今朝は近隣4教会の講壇交換礼拝でした。水元教会には北千住教会の堀成美先生が来てくださり礼拝の御用をして頂きました。水元教会での堀先生のお話は初めてでした。堀先生はご自身が受洗に至った経過を「すべては神様のご計画」と大変わかりやすくお話してくださいました。本当に神様の導きは皆さんそれぞれですね。しかも特別ですね。ぜひ、礼拝案内からクリックして礼拝をご覧ください。堀先生ありがとうございました。
2024年08月05日 12:58

2024.8.4 宣教「わたしが与えるパン」

聖書 ヨハネによる福音書6章41-51節  43節「イエスは答えて言われた。『つぶやき合うのはやめなさい』」イエスはつぶやきを叱責されました。続いて44節「わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしもとへ来ることはできない。わたしはその人を終わりの日に復活させる。」」と言われました。父の選びと救いを説明するために、45~46節でイザヤ書54章13節「あなたの子らは皆、主について教えを受け あなたの子らには平和が豊かにある。」を引用しています。父の選びによって人は救われると語りかけています。神の招きがなければ、わたしたちも教会に来ることはありません。そしてイエスの教えに
2024年07月28日 15:19

2024.7.28  宣教「わたしのもとに来る人」

聖書 ヨハネによる福音書6章34-40節  ヨハネ福音書が生まれた当時の教会は、いつもローマの国家権力の圧政下にありました。そのような中でヨハネは35節「わたしが命のパンである」と書き留めました。37節「父がわたしにお与えになる人は皆、わたしのところに来る。わたしのもとに来る人をわたしは決して追い出さない。」しかし、人々は主イエスのパンの奇跡を見ても、主イエスが神から遣わされたのだということを信じることが出来ませんでした。そこで、父なる神が、わたしに与えてくださった人は、わたしを信じると言われたのです。「わたしが命のパンである」と言われる方を、信じる人と信じない人がいます。信仰と不信仰がありま
2024年07月28日 15:11

2024.7.21  宣教「イエスは命のパン」

聖書 ヨハネによる福音書6章22-35節  27節「朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。父である神が、人の子を認証されたからである」とあります。物質的生活だけが人生のゴールになってはいけないとイエスは言われました。ここに「朽ちる食べ物」と「永遠の命に至る食べ物」の対比があります。朽ちる食べ物は体の維持するための食べ物です。食べてしまうとなくなります。もう一つの「永遠の命に至る食べ物」とは、霊的食物、つまり神の言葉です。そして「人の子」メシアであるイエスが「与える食べ物」とは何かというと、
2024年07月14日 17:02

2024.7.14 宣教「わたしだ、恐れるな」

聖書 ヨハネによる福音書6章16-21節  五つのパンと二匹の魚で五千人に食事を与えられたイエスの奇跡により、群衆はイエスをガリラヤの王にしようとしました。そこでイエスは一人で山に退かれました。ここにイエスと群衆の間に大きなギャップがあります。 16-17節「夕方になったので、弟子たちは湖畔に下りて行った。そして舟に乗り、湖の向こう岸のカファルナウムに行こうとした。既に暗くなっていたが、イエスはまた彼らのところには来ておられなかった。」イエス御自身は、山に登って祈っておられました。弟子たちだけで舟に乗って向こう岸へ向かいました。ここにも...
2024年07月07日 04:38

2024.7.7 宣教「パンと魚の奇跡」

聖書 ヨハネによる福音書6章1-15節  このパンと魚の奇跡は4つの福音書に記されています。それほど12弟子にとっては忘れられない体験だったのでしょう。多くの群衆がイエスの後を追ってついて来ました。その数は男だけでおよそ5千人でした。イエスは弟子のフィリポに「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」と言われた。6節「こう言ったのは、フィリポを試みるためであって、御自分では何をしようとしているかを知っておられたのである。」とあります。7節「フィリポは『めいめいが少しずつ食べるためにも二百デナリオン分のパンでは足りないでしょう』と答えた。」そこへシモン・ペトロの兄弟アンデレが、
2024年06月30日 05:24

2024.6.30 宣教「なぜ、信じるのか。」

聖書 ヨハネによる福音書5章41-47節  どうしてキリストを信じられるのか。どのようにして信仰まで導かれたのか。だれが導いたのか。逆にキリストを信じることができない人から見れば、そのような問いがあるのではないでしょうか。44節の終わりに「あなたたちには、どうして信じることができようか」とあるように、信じることはできないと言われているようです。少し遡って2章24節でも「イエス御自身は彼らを信用されなかった」とあります。イエスは神の民ユダヤの人々を信用なさらなかった。なぜかと言うと、2章25節後半「イエスは、何が人間の心の中にあるかをよく知っておられたのである。」どうしたら信じられるかということ

サイト内検索

お問い合わせ先

水元教会 東京都
葛飾区水元2-5-9
125-0032
03-3607-0910