記事のアーカイブ

2023年02月05日 14:02

2023.2.5   宣教「人は神に生きる」

聖書 ルカによる福音書20章27節ー40節  サドカイ派の人たちが主イエスをやり込める議論をしようと、次のような話を組み立てました。「7人の兄弟がいる長男が子がないまま死んでしまった。子どもがないということは跡継ぎがないということであるので、ユダヤ人は信仰の継承と神の祝福が断たれないように、その妻は次男の妻とならなければならない。跡継ぎを得るためです。ところが次男も三男も次々と子どもを残さず死んでしまった。このようにして子を残さずに7人の夫を迎えることになった女がいたとする。さて、復活の時、この女はだれの妻になるのか。」と言う話です。これは単なる議論のための議論です。まるで女性を子どもを産む機
2023年01月29日 08:39

2023.1.29 宣教「神のものは神に返せ」

聖書 ルカによる福音書20章20-26節  政治と教会の関係はいつも問題になります。20節で「最初そこで、機会をねらっていた彼らは、正しい人を装う回し者を遣わし」とあります。この「回し者」とは「スパイ」のことです。秘密警察のような者で、ここでは「正しい人を装った」とあります。神を信じて熱心な顔をしている人ですが、21~22節「回し者らはイエスに尋ねた。『先生、わたしたちは、あなたがおっしゃることも、教えてくださることも正しく、また、えこひいきなしに、真理に基づいて神の道を教えておられることを知っています。ところで、わたしたちが皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでし
2023年01月22日 08:07

2023.1.22 宣教「ぶどう園の主人と農夫」

聖書 ルカによる福音書20章9-19節  主イエスの譬え話に、よく出て来るのは農夫たちです。ガリラヤにはたくさんの農園があったようです。このたとえ話の農夫たちは主人から農園を預かり働いていました。ある時、主人が農夫たちに農園経営を完全に任せて長い旅に出たようです。ぶどう園では豊かな収穫が予想されていました。やがて農夫たちの努力が報われ、その収穫の時が来ました。そこに主人の使いが現れました。農園の主人が、自分の分け前をくれと言っていると伝えました。農園の主人としての当然の権利として言いました。ところが、農夫たちはその僕を袋叩きにして帰らせてしまいました。そこで、主人はもう一人の僕を送りますが、「
2023年01月15日 06:09

2023.1.15 宣教「何の権威で」

聖書 ルカによる福音書20章1-8節  ここで権威ということが問われています。主イエスが神殿の境内で民衆に福音を告げておられました。民衆は夢中になってイエスの話に聞き入っていたのです。ところが、それが祭司長、律法学者たちには気に入らなかったのです。学者たちは、イエスに「何の権威でこのようなことをしているのか。その権威を与えたのはだれか」と問いました。主イエスの権威とは、悪魔の権力から人間を奪い返し、自由にする力を与える権威です。しかし、彼らは主イエスの権威を正しく理解することができません。祭司長や律法学者にとって自分たちが権威ある者であり、この主イエスの権威が明らかになると、それに腹を立てまし
2023年01月08日 05:43

2023.1.8 宣教「イエス・キリストの涙」

聖書 ルカによる福音書19章41-48節  今朝の聖書の個所は、主イエスの受難週の最初の歩みを記しているところです。41節「エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて、言われた。」と。このイエスの涙は、いったい何のためであったのか。主イエスは涙を流しつつ、42節「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら。…しかし、今は、それがお前には見えない。」と言われました。このときエルサレムには過ぎ越し祭りを祝うために多くの人々が集まってきていました。その多くの人々に、平和を見る日を待ち望んで生きてほしいと。しかし今、このエルサレムの町から平和の賛美が聞こえなくなっていると
2023年01月03日 17:36

Merry Christmas and A Happy New Year

クリスマス燭火礼拝 2022年12月24日(土)午後5時からクリスマス燭火礼拝をしました。 今年もコロナ感染予防を考慮して、教会とZOOM参加で行いました。 聖書朗読は5人にして頂き、イエス様の降誕を聖書朗読と讃美歌で。 メッセージは「祝福の家」と題して藤垣牧師から。   燭火礼拝後は例年どおり玄関前でキャロリング♪   クリスマス礼拝 今年のクリスマス礼拝は12月25日(日)でした。 クランツの蝋燭も4本に、白い蝋燭が一本加わりました。 礼拝の中で讃美歌のフルート演奏がありました♪ とっても素敵でした♪     まだまだコロナ感染予防を考慮のため
2023年01月01日 17:06

2023.1.1 宣教「喜びのメッセージ」

聖書 フィリピの信徒への手紙4章1-7節  新年あけましておめでとうございます。今年は元旦が主日礼拝となり感謝です。 さて、今朝の聖書箇所を読みますと、フィリピの教会にエホディアとシンティケという二人の婦人が、熱心な教会生活また伝道生活をしておられたのですが、この二人の間に一致がないということを、パウロは非常に心配しており、主にあって一つ思いになってほしいということを奨めています。それは具体的に二人の間に愛情が欠けていることを指摘しています。パウロは、教会の中で共にくびきを負うという生活が大切と言っています。4節に「主において、常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい」様々な問題があっても、
2022年12月25日 17:17

2022.12.25 宣教「救い主の誕生」

聖書 マタイによる福音書2章1-12節  東から来た博士たちは、イエス・キリストの誕生の場所を探し求めてエルサレムにやって来ました。2節「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」と書かれています。この「拝みに来たのです」ということが、11節にも「家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み」と記されています。8節にはヘロデの言葉としてこの「わたしも行って拝もう」と語られています。東方からはるばる来た博士たちは母マリアと共に幼子に会い、彼らはひれ伏して拝み、その宝の箱から最上のものを捧げ
2022年12月14日 06:04

2022.12.18 宣教「生ける水、わが主に望む」

聖書 ヨハネによる福音書4章7-26節  イエスはユダヤからガリラヤへ行かれる途中、渇き、疲れ、思わずヤコブの井戸のほとりに腰をおろされました。時はまさに「正午」でした。暑い日盛りであったので周囲には人影も見えません。弟子たちはお昼の食事を整えるために町に出かけて行ったと記されています。そこへ一人のサマリアの女性が、人目を避けるように水を汲むためにシカルの井戸にやって来ました。なぜ、この女性は暑い真昼に人目を避けて井戸に水を汲みにやって来たのか。他の多くの女性には会いたくなかったからでしょう。この孤独な女性は見知らぬ人から「水を飲ませてください」と声をかけられた。こうしてイエスとサマリアの女の
2022年12月11日 17:16

2022.12.11 宣教「主が永遠に輝く」

聖書 イザヤ書60章19-22節  クリスマスとは、ベツレヘムにお生まれになったイエス・キリスト、その者を受け入れる、そのような時です。では、このキリストを信じると何が起こるのかというと、わたしたちは「変えられていく」のです。19節「主があなたのとこしえの光となり」と20節でも「主があなたの永遠の光となり」という言葉が出て来ます。わたしたちの心に刻みつけるように「主があなたのとこしえの光となり」と語られるのです。「光」という言葉は聖書ではいろいろな意味をもっていますが、その一つに「命」を象徴している場合があります。ですから19節、20節は「主は永遠にわたしの命となる」と言い換えることが出来ます

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