2022年10月02日 07:15
聖書 ルカによる福音書18章15‐17節
水元教会は1994年10月2日の日曜日から西水元二丁目の斎藤宏牧師の自宅を開放されて伝道を開始しました。その10年後、現在のこの水元二丁目に移転して、2005年3月27日のイースター礼拝が行われました。28年の教会の歴史を支え、守られた神の恵みに感謝いたします。 今朝はルカ福音書18章15節から17節を学びます。15節に「イエスに触れていただくために、人々は乳飲み子までも連れて来た。」のですが、ところが「弟子たちは、これを見て叱った。」とあります。弟子たちにとって、主イエスの話はファリサイ派の人々さえも打ち負かすほど難しく気高い話であり、このようなと
2022年09月25日 05:27
聖書 ルカによる福音書18章1-14節
信仰生活を全うするために大事なことは祈ることです。神を信じていると言いながら祈ることがないと言うのはおかしなことです。「祈りの精神」を書いたP.T.フォーサイスは、祈らないことは罪だと言っています。また祈りに対する気のゆるみのために私たちの信仰生活が堕落していくと書いています。 今朝のテキストの1節に「主イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえ話をされた。」とあり、二つのたとえ話をされました。まず一つ目は、神を畏れず人を人とも思わない不正の裁判官とやもめです。やもめは不正の裁判官に対しても必死で自分は正しい
2022年09月11日 05:35
聖書 ルカによる福音書17章20-21節
ファリサイ派の人の問いに、20節「ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。『神の国は、見える形では来ない。』」主イエスは、神の国は見えない。また、それを見ようとしても、見える形では来るのではないと答えられたのです。また21節で「『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」と言われました。神の国は、人間と人間の関わりの中にあるのだということです。主イエスは、ファリサイ派の人々に内側を清めなければならないと何度も言われました。しかし、神の国また信仰というのは、私たち
2022年09月04日 17:08
聖書 ルカによる福音書17章11-19節
今朝の聖書には一人のサマリヤ人が登場します。まず重い皮膚病のために人里離れた村で家族と離れて暮らす10人がいたと記されています。この人たちの生活は、悲しみと絶望でした。それでも、彼らは、いつか主イエスと出会って、この病がいやされることが一つの希望であり悲願であったのです。彼らは、旅人が通っても、ただ遠くからながめるだけでした。しかし、そこに主イエスが通られた。彼らは13節「声を張り上げて『イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください』と言った」のです。必死で大声で叫んだのでした。14節「イエスはこの重い皮膚病を患っている人たちを見て『祭司た
2022年08月28日 05:26
聖書 ルカによる福音書17章1-10節
1-10節の小見出しは「赦し、信仰、奉仕」となっています。1-2節では「小さい者の一人をつまずかせてはならない。」3-4節では「罪を犯した者に対しての赦し」5-6節では「からし種一粒ほどの信仰が発揮する大きな力がある」そして7-10節においては「自らを取るに足らない僕とへりくだりなさい」という教えです。いろいろと違った意味を持つ内容ですが、共通しているのは「小さいもの」を扱っています。さて、5節「使徒たちが、『わたしどもの信仰を増してください』」とキリストに願いました。キリストは信仰を増す方法を示さず約束もされません。そして自分たちは信仰を持っていると
2022年08月21日 05:36
聖書 ルカによる福音書16章19-31節
23節に「そして、金持ちは陰府でさいなまれながら目を上げると、宴席でアブラハムとそのすぐそばにいるラザロとが、はるかに見えた。」とあります。そこで金持ちは、このままでは自分の5人の兄弟も同じように陰府に堕ちてひどい目に遭うのは気の毒だから、何とかして助けてやりたいと思ったのです。金持ちはアブラハムに、ラザロを遣わして5人の兄弟に警告するようにしてくださいと頼みました。すると、アブラハムは29節「しかし、アブラハムは言った。『お前の兄弟たちにはモーセと預言者がいる。彼らに耳を傾けるがよい』」と答えました。」金持ちはさらに30節「金持ちは言った。『いいえ
2022年08月14日 13:08
聖書 マルコによる福音書15章33-41節
33節「昼の12時になると、全地は暗くなり、それが3時まで続いた。」そして、イエスは大声で「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか。」と叫ばれました。一度も罪を犯すことが無かったお方、いつも神を信頼していた神の子、いつも神の御心の通りに歩んで行かれたイエス・キリストが、全面的に神から見捨てられたと感じられた時間です。この12時から3時まで全地は暗くなったというのは、いったいどういうことなのでしょう。これは、キリストの十字架を無視するとき、この世界は闇に包まれるような生活になるということを予想できるのではないかと思うのです。キリスト者に
2022年08月07日 05:38
聖書 ルカによる福音書16章14-18節
わたしたちは自分のことは自分が一番よく知っていると思っているようです。自分は特別だ、自分が最も大事だということは、すべての人間の特徴です。だから自分の正しさを主張して、人々に「尊ばれ」ようとします。イエスは、これをファリサイ派の人々に指摘しました。15節「そこで、イエスは言われた。『あなたたちは人に自分の正しさを見せびらかすが、神はあなたたちの心をご存じである。人に尊ばれるものは、神には忌み嫌われる者だ。」」この世で人から尊ばれ人からの評価を求めても、神は人の「心」をすべてご存じです。「人に尊ばれるものは、神に忌み嫌われるものだ」ということです。これ
2022年08月01日 11:10
聖書 詩編46編1-12節 今朝は近隣4教会の講壇交換日礼拝。金町教会の川名基牧師が来てくださり宣教をしてくださいました。川名先生には、今までも隣の教会ということで色々なことでお世話になっていましたが、水元教会での礼拝ご用は今回が初めてとのことでした。実はコロナ感染予防のため予定していた講壇交換日礼拝も何度も延期になり、なかなか実現できずにいたのです。ですから、私たちにとって待ちに待った講壇交換日礼拝でした。川名先生のお話は簡単な自己紹介からはじまり、先生の年齢(50代半ば)をお聞きすると「ああ、お若い!」という皆さんの心の声が聞こえてくるようでした。(^^)/ 詩編とは神様への祈りを捧げる