2022年03月20日 18:10
聖書 ルカによる福音書12章54-59節
56節「偽善者よ、このように空や地の模様を見分けることは知っているのに、どうして今の時を見分けることを知らないのか」この「偽善者よ」とは誰のことかと言うと、律法学者、ファリサイ派の人々です。この人たちは自分は立派な信仰生活をしていると思っているし、人からもそう思われている。そういう人を主イエスは偽善者だと批判されました。わたしどもはどうでしょうか?私ども自身は少なくとも偽善者と言われるほど、ひどくないと思っています。しかし、本当は私どもは自分が偽善者であることを忘れています。人間は、もれなく偽善的な性質を持つことを主イエスは見抜いておられます。偽善と
2022年03月13日 15:41
聖書 ルカによる福音書12章49-53節
主イエスは49節「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである」と言われた。この火とは、人を滅ぼす火ではなく、人を生かす火です。この火は聖霊です。また、50節「わたしには受けねばならない洗礼がある。それが終わるまで、わたしはどんな苦しむことだろう」と言われた。主イエスは私どもの生活に火を投げ込まれました。
これはイエスの十字架の苦難を意味します。主イエスは...
2022年03月06日 16:17
聖書 ルカによる福音書12章41-48節
42節で「主は言われた。「主人が召し使いたちの上に立てて、時間どおりに食べ物を分配させることにした忠実で賢い管理人は、いったいだれであろうか。」また43節で「主人が帰って来たとき、言われたとおりにしているのを見られる僕は幸いである」とあります。そのように主人の僕の務めを果たすために必要なことは「忠実で思慮深い」ことが求められています。そこで主イエスはペトロに「忠実で賢い管理人は、いったいだれであろうか。」と言われました。主人の帰りが遅いと,僕である者の心に不安が生まれます。主イエスを待ち続ける私たちの心に、主イエスに対する信頼の心を不安にさせるものが
2022年02月27日 06:25
聖書 ルカによる福音書12章35-40節
35節に「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい」と記されています。主イエスからの、いつ、どんな命令にでも応じることが出来るように準備をする状態と考えてもよいと思います。そのように奮い立たせることですが、ここでは、むしろじっと待つこと、それも腰に帯を締め、ともし火をともして待つということです。主人がいつ帰ってくるか分からないからです。場合によっては、僕は一晩中明かりを絶やさず、目を覚ましていなければならないかもしれません。37節に「主人が帰って来たとき、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。はっきり言っておくが、主人は帯を締めて、この僕たちを
2022年02月20日 15:52
聖書 ルカによる福音書12章22-34節
32節で「小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。」ルカはどのような思いでこの言葉を語り伝えたのでしょうか。当時の教会は、教会堂も無い小さな集まりで、その小さな群れに神の言葉を運ぶ人がいました。この福音を刻み込まれて行った人が、次から次へと受け継いで主イエスの言葉を運びました。主イエスが繰り返し言われた言葉の一つは「恐れるな」ということでした。誰の心にも恐れがあります。主イエスは、嵐の中にいる弟子たち、海に溺れそうになっている弟子たちに「恐れるな」と何度も声をかけてくださいました。25節「あなたがたのうちのだれが、思い悩んだか
2022年02月13日 14:02
聖書 ルカによる福音書12章13-21節
13節に「群衆の一人が言った。『先生、わたしにも遺産を分けてくれるように兄弟に言ってください。』」当時のユダヤの定めには長男には大きな権限があり、父親が死ぬと長男に財産が入ったというのです。ここに出て来る男は、次男か三男と思われます。遺産相続の問題を訴えた言葉ですが、主イエスは直接に答えられません。ただ15節で「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい」また「有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることも出来ないからである。」と言われました。そして「だれがわたしを、あなたがたの裁判官や調停人に任命したのか」と。何でも主イエスに話せば、
2022年02月06日 11:48
聖書 ルカによる福音書12章1-12節
主イエスは旅をなさいました。決して安住して伝道をされたのではありません。伝道の旅というのは、ある意味では重荷でストレスも抱えていくことになります。私たちは自分が生きている間に、いつかどこかで自分が背負っている重荷が解放される時が来るだろうと思っています。しかし、人間というのは、一生心配事から解放されることはないことを悟ります。主イエスは弟子たちに4節、5節に「友人であるあなたがたに言っておく。体を殺しても、その後、それ以上何も出来ない者どもを恐れてはならない。誰を恐れるべきか、教えよう。それは、殺した後で、地獄に投げ込む権威を持っている方だ。そうだ、言
2022年01月30日 12:37
聖書 ルカによる福音書11章42節ー54節
先週のテキストの後半から、もう一度考えてみたいと思います。42節から「不幸だ」という言葉がたくさん出てきます。46節「イエスは言われた。『あなたたち律法の専門家も不幸だ。人には背負いきれない重荷を負わせながら、自分では指一本もその重荷に触れようとしないからだ』」つまり42節の「正義の実行と神への愛をおろそかにしている」ことになります。私たちが、主イエスの言葉に従って生きるということは、自分のそばにいる者や自分と共に生きている者に対して、どういう行動して共に生きているのかが問われるのです。しかも人に負いきれない重荷を負わせておきながら自分で
2022年01月23日 12:12
聖書 ルカによる福音書11章37-44節
37節に、イエスはあるファリサイ派の人から食事の招待を受けたので、その家に入って食事の席に着かれたとあります。ところが42と44節でその招いてくれた主人に向かって「あなたたちは不幸だ」と言われたのです。なぜでしょうか?それは、38節にファリサイ派の人が、「イエスが身を清められなかったのを見て、不審に思った」ことから始まりました。ここにファリサイ派の人たちの「信仰」の基準がありました。彼らの基準は目に見える基準です。つまり外面の儀式や単なる律法や教えが形式になっていました。形だけの宗教となるとき、葬式や結婚式または何かお祝いのときだけの宗教となり内容の
2022年01月16日 16:08
聖書 ルカによる福音書11章29-36節
29節に「群衆の数がますます増えて来た」と書き始めています。群衆は主イエスの話を聞きたいから集まって来たのです。これに対する主イエスの最初の言葉は厳しいものでした。「今の時代の者たちはよこしまだ」と言われたのです。つまり「あなたがたの時代」、それは悪い時代であると言われました。なぜ主イエスはこのようなことを言われたのか。33節と34節に、主イエスは「ともし火をともして、それを穴蔵の中や、升の下に置く者はいない。入って来る人に光が見えるように、燭台の上に置く。あなたの体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、濁っていれば、体も暗