記事のアーカイブ

2022年02月13日 14:02

2022.2.13 宣教「神の前に豊かな者」

聖書 ルカによる福音書12章13-21節  13節に「群衆の一人が言った。『先生、わたしにも遺産を分けてくれるように兄弟に言ってください。』」当時のユダヤの定めには長男には大きな権限があり、父親が死ぬと長男に財産が入ったというのです。ここに出て来る男は、次男か三男と思われます。遺産相続の問題を訴えた言葉ですが、主イエスは直接に答えられません。ただ15節で「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい」また「有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることも出来ないからである。」と言われました。そして「だれがわたしを、あなたがたの裁判官や調停人に任命したのか」と。何でも主イエスに話せば、
2022年02月06日 11:48

2022.2.6 宣教「神の平安」

聖書 ルカによる福音書12章1-12節  主イエスは旅をなさいました。決して安住して伝道をされたのではありません。伝道の旅というのは、ある意味では重荷でストレスも抱えていくことになります。私たちは自分が生きている間に、いつかどこかで自分が背負っている重荷が解放される時が来るだろうと思っています。しかし、人間というのは、一生心配事から解放されることはないことを悟ります。主イエスは弟子たちに4節、5節に「友人であるあなたがたに言っておく。体を殺しても、その後、それ以上何も出来ない者どもを恐れてはならない。誰を恐れるべきか、教えよう。それは、殺した後で、地獄に投げ込む権威を持っている方だ。そうだ、言
2022年01月30日 12:37

2022.1.30 宣教「神の知恵」

聖書 ルカによる福音書11章42節ー54節  先週のテキストの後半から、もう一度考えてみたいと思います。42節から「不幸だ」という言葉がたくさん出てきます。46節「イエスは言われた。『あなたたち律法の専門家も不幸だ。人には背負いきれない重荷を負わせながら、自分では指一本もその重荷に触れようとしないからだ』」つまり42節の「正義の実行と神への愛をおろそかにしている」ことになります。私たちが、主イエスの言葉に従って生きるということは、自分のそばにいる者や自分と共に生きている者に対して、どういう行動して共に生きているのかが問われるのです。しかも人に負いきれない重荷を負わせておきながら自分で
2022年01月23日 12:12

2022.1.23 宣教「あなたの内側を清めよ」

聖書 ルカによる福音書11章37-44節  37節に、イエスはあるファリサイ派の人から食事の招待を受けたので、その家に入って食事の席に着かれたとあります。ところが42と44節でその招いてくれた主人に向かって「あなたたちは不幸だ」と言われたのです。なぜでしょうか?それは、38節にファリサイ派の人が、「イエスが身を清められなかったのを見て、不審に思った」ことから始まりました。ここにファリサイ派の人たちの「信仰」の基準がありました。彼らの基準は目に見える基準です。つまり外面の儀式や単なる律法や教えが形式になっていました。形だけの宗教となるとき、葬式や結婚式または何かお祝いのときだけの宗教となり内容の
2022年01月16日 16:08

2022.1.16 宣教「キリストを見つめて」

聖書 ルカによる福音書11章29-36節  29節に「群衆の数がますます増えて来た」と書き始めています。群衆は主イエスの話を聞きたいから集まって来たのです。これに対する主イエスの最初の言葉は厳しいものでした。「今の時代の者たちはよこしまだ」と言われたのです。つまり「あなたがたの時代」、それは悪い時代であると言われました。なぜ主イエスはこのようなことを言われたのか。33節と34節に、主イエスは「ともし火をともして、それを穴蔵の中や、升の下に置く者はいない。入って来る人に光が見えるように、燭台の上に置く。あなたの体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、濁っていれば、体も暗
2022年01月09日 05:43

2022.1.9  宣教「キリストの救い」

聖書 ルカによる福音書11章14-28節 今朝の主題は「主イエスの救いとは何か」と言うことです。主イエスの救いを、理論と言うよりも、今ここにある私たちの現実のこととして考えていきたいと思います。そのきっかけとなる出来事が14節「口を利けなくする悪霊」に取りつかれた人がいたのです。主イエスは、その人の悪霊を追い出してくださり不自由から解放してくださったのです。そして19節に「わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出すのなら、あなたたちの仲間は何の力で追い出すのか」と言われました。「あなたたちの仲間」と呼ばれる人々も、そのようなことができたのです。しかし同時に、主イエスご自身がここでしておられることは
2022年01月04日 13:36

Merry Christmas and A Happy New Year

Merry...
2022年01月02日 16:21

2022.1.2 宣教「祈りの力」

聖書 ルカによる福音書11章1-13節  2022年を迎えまして心からお喜び申し上げます。また新しい年を迎えた時点で、希望をもって進んで行きたいと思います。       今朝のテキストは、まず弟子の一人が「主よ、祈ることを教えてください」と願いました。そこで主イエスの祈りについて教えが語られました。主イエスは祈りとはどういうことかを教えてくださったのです。教会でも、祈りとは感謝すること、神の御名をほめたたえる賛美であると学びます。主イエスは、信仰の成長の過程において祈りとは願うことである。すなわち8節の言葉で「しつように頼む」ことであると書いてあります。祈らない信仰はありえないということを言っ
2021年12月24日 06:35

2021.12.26 宣教「必要なことは一つ」

聖書 ルカによる福音書10章38-42節  マルタは、自分の村に主イエスの一行が来たとき、喜んで自分の家に迎え入れました。そこで何が起こったかというと、39節にこの物語の中心場面があります。「彼女にはマリアという姉妹がいた。マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた。」そこから話が続きました。「マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、そばに近寄って言った。『主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。』主イエスはお答えになった。『マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱し
2021年12月19日 06:12

2021.12.19 宣教「絶望から希望へ」

聖書 マタイによる福音書1章18-25節  2021年のクリスマスをご一緒にお祝いして、ここに礼拝を捧げるこの出来ますことを心よりお喜びいたします。 ヨセフとマリアは神の祝福を受けながらも、はじめは主の天使の御言葉を素直に受け入れられませんでした。ヨセフは18節「二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった」という、与えられた神の言葉に答えられなかったのです。19節「ひそかに縁を切ろうと決心した」とあり、ヨセフは与えられた栄光にありながら、神の祝福に十分に答えることが出来ないものとなっていました。20節「マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである」この言葉に、ヨセフはこ

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