2021年11月14日 05:40
聖書 ルカによる福音書10章17-24節「神の国が近づいた」という福音を告げるために派遣された72人が主イエスのもとに、17節「喜んで帰って来た」とあります。弟子たちは、主イエスの御名の力に驚きながら帰ってきました。17節「主よ、お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します」と。それに対して主イエスは18節「わたしは、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた。蛇やサソリを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を、わたしはあなたがたに授けた。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つない」と言われました。この弟子たちは、何のために派遣されたかを、わたしたちも知っておくべきことです。72
2021年11月07日 11:44
ルカによる福音書10章1-16節
本日は、永眠者記念礼拝です。天に召された方々を覚えて共に礼拝を捧げたいと思います。 今朝のテキストには、キリスト者として遣わされるときの厳しい備えが書かれています。3節「行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ。財布も袋も履物も持って行くな。途中でだれにも挨拶するな」と。「わたしはあなたがたを遣わす」という言葉が、後に「使徒」となり、その使徒たちが教会の柱となっていきました。「狼の群れに小羊を送り込むようなものだ」とは、羊飼いが大切に育ててきた小羊を狼の群れの中に送り込むということです。確かにこの世には狼がいます。
2021年10月27日 05:21
聖書 ルカによる福音書9章57-62節
ここに登場する三人の人との対話には、一つの共通した鍵となる言葉があります。それは「従う」ということです。57節「どこへでも従って参ります」59節「わたしに従いなさい」61節「主よ、あなたに従います」です。私たちは主イエスに従うことを決意して洗礼を受けました。そして、私たちに「わたしに従いなさい」とはっきりと服従することを求められました。問題は、私たちがそれに答えられるかどうかということです。
この聖書に出て来る人は、「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と言いました。すると主イエスは58節「イエスは言われた。『狐には穴があ
2021年10月24日 07:17
聖書 ルカによる福音書9章46-56節
46節で「弟子たちの間で、自分たちのうちだれがいちばん偉いのかという議論が起きた。」のです。主イエスの弟子にとっては、偉くなることを人生の目的に置くことには、神の前には何の意味もないのですが、弟子たちには、主イエスの真実の姿が理解できませんでした。ここで、主イエスは人が偉くなることを否定しているのではなく、自分の方が偉いと思う人間の心から生じてくるさまざまな問題を指摘しているのではないでしょうか。47節「イエスは彼らの心の内を見抜き、一人の子どもの手を取り、御自分のそばにたたせて」48節「言われた。『わたしの名のためにこの子供を受け入れる者は、わたしを
2021年10月12日 17:38
聖書 ルカによる福音書9章37-45節
主イエスが山を下りて来られたところに、大勢の群衆がいました。その中から突然ある人が飛び出して来て「先生、どうかわたしの子を見てやってください。一人息子です」と叫びました。この父親は、けいれんを起こした息子を助けてもらえると信じてやって来たのでしたが、イエスはおられなかった。そこで40節「この霊を追い出してくださるようにお弟子さん達に頼みましたが、できませんでした。」父親は、主イエスはおられないが、主イエスの弟子たちに頼んだら息子に取りついた悪霊を追い出してくれると信じたのでした。しかし、残っていた9人の弟子たちは子供を癒すことができず無力でした。41節
2021年10月10日 14:41
聖書 ルカによる福音書9章28-36節
28節「イエスは、ペトロ、ヨハネ、およびヤコブを連れて、祈るために山に登られた。」ところが、この夜の祈りの時に、29節「祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた」のです。イエスの栄光の姿と共に、旧約聖書の代表者モーセとエリヤの姿が見えました。31節「二人は栄光に包まれて現れ、イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最後について話していた。」32節「ペトロと仲間は、ひどく眠かったが、じっとこらえていると、栄光に輝くイエスと、そばに立っている二人の人が見えた」のでした。この「栄光に輝くイエス」とは、イエス・キリストご自身が持って
2021年10月03日 14:28
聖書 ルカによる福音書9章18-27節
今朝は水元教会の27周年感謝礼拝です。齊藤牧師宅での「水元家の教会」から始まりました。この会堂が与えられて17年になります。主が共にいて水元教会を支えてくださったいることを心より感謝したいと思います。
先週は、主イエスにより五千人がを五つのパンと二匹の魚で腹を満たされた話をいたしました。そこで一体この方は誰だという思いが人々の中で深まっていきます。18節「イエスが一人で祈っておられたとき、弟子たちは共にいた」と書き始め、そこで主イエスは自分が誰であるかを明らかにされました。イエスは弟子たちに人々はわたしを誰というかと質問され、続いて「それでは、あなた
2021年09月26日 05:29
聖書 ルカによる福音書9章1-17節
今朝のルカ福音書9章1節から17節は、1節から6節、7節から9節、そして10節~17節の区分がなされていますが、大きな区分で聖書の言葉を学びたいと思います。一言で言いますと「主イエスと共に働く者」の物語です。1節から12弟子の伝道の記事が始まります。弟子たちは主イエスから離れ自分たちだけで伝道に出かけて行きました。主イエスは12弟子たちに悪霊を制し、病気を癒す力と権威をお与えになりました。弟子たちは、神の国を宣べ伝え、病気を癒すために遣わされたのでした。これは、教会の最初を担い、基礎を創った教会の歴史とも言えます。10節からは、イエスのもとに帰って来た弟
2021年09月19日 15:23
聖書 ルカによる福音書8章40-56節
ここでは、一つの物語として語られながら内容的には二つの劇的な事件が語られています。一人は会堂長ヤイロと、もう一人は名前のない女性です。ヤイロの娘が12歳で亡くなりました。もう一人の女性は12年もの間、婦人病のために全財産を使い果たしましたが、良くなることはありませんでした。当時の社会は女性の出血は汚れた者とみなされ、その女性が触れた者も汚れたものとされました。さて、キリストが村に来たことを知った女性は、せめてキリストの「服の房」にさわることが出来たら、自分の病気が癒されると信じたのです。その一途な思いでキリストの房に触れました。すると、そのとたんに彼女
2021年09月12日 20:44
聖書 ルカによる福音書8章26-39節
26節「一行は、ガリラヤの向こう岸にあるゲラサ人の地方に着いた」その後、主イエスは、この悪霊につかれ墓場にいた男に出会われました。この時。主イエスお一人でした。この悪霊につかれた男は、おそらく本人もわけのわからない力に振り回され、周りの人たちはどうしようもなくなっていたのでしょう。この男には家族もいたと思いますが、家族も途方に暮れていたと思います。こういう時に、私たちは人間の無力を感じるかもしれません。そこに主イエスが、この男を捉えて振り回している悪霊と相対しました。28節に、この男はイエスを見て叫びだし「わめきながらひれ伏して大声で言った。『いと高き