2021年10月10日 14:41
聖書 ルカによる福音書9章28-36節
28節「イエスは、ペトロ、ヨハネ、およびヤコブを連れて、祈るために山に登られた。」ところが、この夜の祈りの時に、29節「祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた」のです。イエスの栄光の姿と共に、旧約聖書の代表者モーセとエリヤの姿が見えました。31節「二人は栄光に包まれて現れ、イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最後について話していた。」32節「ペトロと仲間は、ひどく眠かったが、じっとこらえていると、栄光に輝くイエスと、そばに立っている二人の人が見えた」のでした。この「栄光に輝くイエス」とは、イエス・キリストご自身が持って
2021年10月03日 14:28
聖書 ルカによる福音書9章18-27節
今朝は水元教会の27周年感謝礼拝です。齊藤牧師宅での「水元家の教会」から始まりました。この会堂が与えられて17年になります。主が共にいて水元教会を支えてくださったいることを心より感謝したいと思います。
先週は、主イエスにより五千人がを五つのパンと二匹の魚で腹を満たされた話をいたしました。そこで一体この方は誰だという思いが人々の中で深まっていきます。18節「イエスが一人で祈っておられたとき、弟子たちは共にいた」と書き始め、そこで主イエスは自分が誰であるかを明らかにされました。イエスは弟子たちに人々はわたしを誰というかと質問され、続いて「それでは、あなた
2021年09月26日 05:29
聖書 ルカによる福音書9章1-17節
今朝のルカ福音書9章1節から17節は、1節から6節、7節から9節、そして10節~17節の区分がなされていますが、大きな区分で聖書の言葉を学びたいと思います。一言で言いますと「主イエスと共に働く者」の物語です。1節から12弟子の伝道の記事が始まります。弟子たちは主イエスから離れ自分たちだけで伝道に出かけて行きました。主イエスは12弟子たちに悪霊を制し、病気を癒す力と権威をお与えになりました。弟子たちは、神の国を宣べ伝え、病気を癒すために遣わされたのでした。これは、教会の最初を担い、基礎を創った教会の歴史とも言えます。10節からは、イエスのもとに帰って来た弟
2021年09月19日 15:23
聖書 ルカによる福音書8章40-56節
ここでは、一つの物語として語られながら内容的には二つの劇的な事件が語られています。一人は会堂長ヤイロと、もう一人は名前のない女性です。ヤイロの娘が12歳で亡くなりました。もう一人の女性は12年もの間、婦人病のために全財産を使い果たしましたが、良くなることはありませんでした。当時の社会は女性の出血は汚れた者とみなされ、その女性が触れた者も汚れたものとされました。さて、キリストが村に来たことを知った女性は、せめてキリストの「服の房」にさわることが出来たら、自分の病気が癒されると信じたのです。その一途な思いでキリストの房に触れました。すると、そのとたんに彼女
2021年09月12日 20:44
聖書 ルカによる福音書8章26-39節
26節「一行は、ガリラヤの向こう岸にあるゲラサ人の地方に着いた」その後、主イエスは、この悪霊につかれ墓場にいた男に出会われました。この時。主イエスお一人でした。この悪霊につかれた男は、おそらく本人もわけのわからない力に振り回され、周りの人たちはどうしようもなくなっていたのでしょう。この男には家族もいたと思いますが、家族も途方に暮れていたと思います。こういう時に、私たちは人間の無力を感じるかもしれません。そこに主イエスが、この男を捉えて振り回している悪霊と相対しました。28節に、この男はイエスを見て叫びだし「わめきながらひれ伏して大声で言った。『いと高き
2021年09月01日 05:35
聖書 ルカによる福音書8章19-25節
主イエスを信じた私たちの人生とは、丁度船に乗って海に出て行くようなものだと言えます。22節「イエスが弟子たちと一緒に舟に乗り」とあるように、私たちの人生には多くの仲間があり旅の道連れとなる人がいます。それだけでなく、私たちには復活のイエスもまた、私たち一人一人の人生の旅に共にいてくださるのです。私たちの人生の旅は平和と希望に満ちていても、静かな日の毎日ではありません。23節「渡っていくうちに、イエスは眠ってしまわれた。」そこへ「突風が湖に吹き降ろしてきて、彼らは水をかぶり、危うくなった。」この突風とはガリラヤ湖ではよく起こることのようです。私たちの人生
2021年08月29日 12:45
聖書 ルカによる福音書8章4-18節
み言葉を蒔くというということはどういうことかを主イエスは教えておられます。主イエスはなぜ一生懸命になって伝道なさったのか。それは神の国の福音を説き、ご自分の家族を形成するためです。8節に「『また、ほかの種は良い土地に落ち。生え出で、百倍の実を結んだ。』イエスはこのように話して、『聞く耳のあるものは聞きなさい』と大声で言われた。」とあります。主イエスは大声で、それを聞いてほしい、あなた方は耳があるのだから、しっかり聞いて実を結ぶようにと、聞くことを求めておられます。「また、ほかの種は良い土地に落ち、生え出て、百倍の実を結んだ」とは、神の祝福のゆえに百倍の実
2021年08月18日 06:08
聖書 ルカによる福音書8章1-3節 2~3節「すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア、ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスザンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒であった。彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた」のでした。マグダラのマリア、この人の名前は良く知られていますが、このように主イエスの地上の生活を一緒にして、食事の世話をする、衣服の選択をするなど、そういう世話を引き受けてくれる女性たちがいたのでした。この記事はルカのみが書いています。12人の弟子は男性ですが、しかしこの12人の弟子は最後までイエスと共にあったとは書くことが出来ませんでした
2021年08月15日 16:31
聖書 ルカによる福音書7章36-50節
37-38節には一人の女性が、香油の入った石膏の壺を持って来て、食卓についておられる主イエス足元に近寄り、泣きながら自分の髪の毛でイエスの足を拭い、イエスの足に接吻して香油を塗ったと記されています。その席にいたファリサイ派のシモンという人が、この女性の涙に同情することもなく、この涙を受け入れる主イエスの行為に不平を持ったのです。39節に「イエスを招待したファリサイ派の人はこれを見て、『この人がもし預言者なら、自分に触れている女がだれで、どんな人かわかるはずだ。罪深い女なのに』と思った」のです。預言者なら、どの人が善い人で、どの人が悪い人かわかるはずだ。
2021年08月08日 06:06
聖書 ルカによる福音書7章24-35節
洗礼者ヨハネが人々にどのように迎えられたかは、29節で民衆は「神の正しさを認めた」とあり、30節ではファリサイ派の人々や律法の専門家たちは「神の御心を拒んだ」と記されています。神の御心とは、私たちのための神の御心です。神が私たちのことを大切に思ってくださる神の御心を拒否しないことです。33節には洗礼者ヨハネがパンを食べることも、ぶどう酒を飲むこともしないと「あなた方は、あれは悪霊に取りつかれている」と言い、主イエスについてはその逆に34節で「人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒のみだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言うのです。」と記されています