2021年08月01日 15:43
聖書 ルカによる福音書7章18-23節
洗礼者ヨハネの母はエリザベト、父は祭司ザカリアです。幼い時から両親から、救い主が来られるという、その使命を果たすために生まれて来たのだということを聞かされていたのではないかと思います。その来るべき方のための道備えをすることがヨハネの使命でした。それだけにヨハネは主イエスご自身に尋ねないわけにはいかなかったのです。「来るべき方はあなたですか」と、この問いはヨハネは自分が歩んできた道がよいのだという保証をいただきたかったのです。ヨハネは今獄中にいて、その厳しい試練の中でどうしても問いたくなったのだと思います。主イエスが救い主であり、イエスが本当に神の子であ
2021年07月20日 06:00
聖書 ルカによる福音書7章11-17節
11節に主イエスが弟子達や大勢の群衆と共にナインという町に行かれたと記されています。群衆は、百人隊長の部下を癒された、その奇跡をもっと見たいと思っていたのかもしれません。イエスが町の門に近づくと、ちょうど一人の若者が死んでしまって棺が担ぎ出されているところでした。その若者に父親はおらず母親が一人で育てたのです。とても悲しいことです。12節に、町の人々が大勢そばに付き添っていたと書いてありますから、多くの人がその死に深い同情を寄せたに違いありません。誰もがこれはどうしようもない、ただ母親の悲しみに対して同情するほかないと思っていました。しかし、13節「主
2021年07月19日 05:38
聖書 ルカによる福音書7章1-10節
9節「イエスはこれを聞いて感心し、従っていた群衆の方を振り向いて言われた。『言っておくが、イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。』」と記されています。このように主イエスは異邦人である百人隊長の信仰に驚かれました。この百人隊長についてはユダヤの長老たちも、5節「わたしたちユダヤ人を愛し、自ら会堂を建ててくれたのです」と言っています。彼はまだ未信者で異邦人です。しかしここでは、そういう区別を越えて神を信じるとはどういうことかを、主イエスによって見出されました。 この百人隊長の一人の部下が思い病にかかりました。もう主イエスのところに連れ
2021年07月11日 04:47
聖書 ルカによる福音書6章43ー49節 キリストは、福音の真理を語る時、目の前にある自然や人間を題材にして、特にたとえ話で、難しいことを分かりやすく説明されるために比喩を用いて語られました。46-47節には「わたしの言葉を聞き、それを行う人が皆」と言われています。信仰することが既に行いを含んでいます。神を信じるということが一つの大きな行いです。信じるためには、生活全体をかけた行為であり、決断があるからです。48~49節では雨や、洪水について語られました。私たちの人生には突然に危機がやってきます。その危機に耐える家を、私たちはしっかりした土台の上に建てることです。その土台とは「わたしの言葉を聞き
2021年07月04日 06:49
聖書 ルカによる福音書6章37-42節
主イエスは、弟子たちに37-38節「人を裁くな。そうすれば、あなた方も裁かれることがない。赦しなさい、そうすれば、あなた方も赦される。与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる」と言われました。これらの言葉は、私たちは何度も聞いています。反対する人はいません。しかし、実際にそのことを自分がするとなると出来ない者です。私たちの口から出る言葉は、気が付くといつも人を裁いています。あの人はこう言ったから、あの人はこういう人だと決めつけて裁いてしまう。自分に何か悪事を働いた人はいつまでも赦せない者です。私たちは、いつの間にか人に与えるよりも人から何かを与
2021年06月27日 12:01
聖書 ルカによる付近書6章27-36節
27節「しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。敵を愛し、あなた方を憎む者に親切にしなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、あなた方を侮辱する者のために祈りなさい」と主イエスはそのように教えられました。「敵を愛しなさい」という主の御言葉で思い出すのは、「汝の敵を愛せよ」と説教をされたマーティン・ルーサー・キング牧師のことです。この説教は、キング牧師の黒人教会で語られました。キング牧師が殺されたのは1968年のことです。キング牧師は愛に生きた人です。信仰者はこの人のことを忘れてはならないと思います。彼の生活の原動力となったのは、まさに
2021年06月20日 12:32
聖書 ルカによる福音書6章20-26節
20~23節「貧しい人々は、幸いである。神の国はあなた方のものである。今飢えている人々は、幸いである。あなた方は満たされる。今泣いている人々は、幸いである、あなた方は笑うようになる。人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。その日には、喜び踊りなさい」とあります。人々から憎まれ、追い出されるというのは、ユダヤ人会堂から追い出されることです。ユダヤ人のこれまでの仲間から憎まれ、追い出される。そこで主イエスは不思議なことを言われました。「その日には、あなた方は喜び踊る」と。主イエスが私たち
2021年06月13日 00:00
聖書 ルカによる福音書6章12-19節
12節「そのころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈って夜を明かされた。」この「夜を明かされた」とある言葉ですが、それは一晩中祈られたのですが、ただ一晩だけではなくて、生涯を通してひたすら祈られたという主イエスの祈りに生きるお姿を読み取ることが出来ると思います。自分が思い立った時にだけ、お祈りをするというのではないのです。いつも神への真剣な祈りの姿がそこにありました。ここでは、主イエスご自身が先頭になって徹夜してまでお祈りになったということを、今朝の礼拝において私たち一人一人がが心に刻んでいくことが大切だと思います。
13節以下に、その祈りに応えて、
2021年05月31日 16:17
聖書 ルカによる福音書6章1-11節
今日のテキストの二つの物語は共に安息日についての話です。一つはイエス・キリストが安息の主であるということ。もう一つは安息日に良いことをするのと悪いことをするのと、どちらが良いかということです。キリスト教会は日曜日に礼拝するようになりました。主イエスの復活された日だからです。安息日は創世記1章、2章に記されている神の休息から来ています。父なる神が6日間、天地創造の働きを終えられた。人間も創造されました。その時に神は世界を祝福されたと書いています。安息とは神の祝福と共に休むということです。旧約聖書には安息日の細かい規定があります。今朝のテキストには、その安息
2021年05月25日 05:54
聖書 ルカによる福音書5章33-39節
37~39節に「また、だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりしない。新しいぶどう酒は革袋を破って流れ出し、革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れなければならない。また、古いぶどう酒を飲めば、だれも新しいものを欲しがらない。『古いものの方がよい』と言うのである。」とあります。この「革袋」というのは、羊や山羊の革を縫い合わせた水筒のような容器です。それにぶどう酒を入れたり、水やミルクを入れたりしました。新しくできたぶどう酒を、弾力のなくなった古い革袋に入れると、勢いの強い発酵力のために、古い革袋が破れてしまうのです。そして、新しい中身の酒