2021年04月07日 06:28
聖書 ルカによる福音書4章38-44節
主イエスは会堂で説教された後、シモンの家に行かれました。シモンというのはシモン・ペトロです。ここではまだイエスの弟子になっていません。漁師をしていたペトロの家に主イエスは食事に来られたのです。ペトロは結婚しており、その妻の母が高い熱で苦しんでいたのでした。39節「イエスが枕元に立って熱を叱りつけられると、熱は去り、彼女はすぐに起き上がって一同をもてなした」と記されていますが、これはほんのわずかの間に起こった出来事です。すると、40節「日が暮れると、いろいろな病気で苦しむ者を抱えている人が皆、病人たちをイエスのもとに連れて来た」のでした。カファルナウムの
2021年03月30日 05:40
聖書 マルコによる福音書16章1-8節
イースターおめでとうございます。キリストの復活の朝、弟子たちの行動は不可解です。弟子たちは、主イエスが苦しみを受け殺されるが三日目には復活すると、主イエスから聞いていました。安息日が済んで、お墓に行ったのは女性たちです。ユダを除いた男の弟子11人は全く放心状態でした。女性たちは香料を整えて主イエスの遺体に塗るためにお墓に行っています。すると墓の中には主イエスの体はなく、真っ白な長い衣を着た若者が主イエスの復活を告げたのです。7節「さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。かねて言われたとおり、そこでお
2021年03月25日 05:21
聖書 マルコによる福音書15章33-41節
33節「昼の12時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。三時にイエスは大声で叫ばれた。[エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ』これは、[わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですかという意味である』とあります。12時から3時までの間、主イエスは、十字架の上で苦しまれ、三時になった時に「わが神、わが神」と叫ばれたということになります。三時間の沈黙があって、主イエスがこの言葉を言われたということは大事なことです。主イエスの苦悩とは何か。それはここに語られたみ言葉が、祈りであることからも、イエスはこの三時間苦しみの中で祈りつづけておられたこ
2021年03月15日 18:28
聖書 ルカによる福音書22章14-23節
14節に「時刻になったので、イエスは食事の席に着かれたが、使徒たちも一緒だった」後に、主イエスが言われたことは、15節「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越しの食事をしたいと、わたしは切に願っていた」ということでした。なぜ、主イエスはご自分がこれから苦しみにあわれる前に、弟子たちと一緒に食事をしたいとお考えになったのでしょうか?それは、主イエスがこの世に来たのは何のためであるか、主イエスが苦しみにあうのはどういう意味を持っているかということを明らかにされたということです。それが最後の晩餐です。この晩餐にはイスカリオテのユダも一緒でした。この晩
2021年03月10日 05:42
聖書 マルコによる福音書14章1-11節
主イエスはある重い皮膚病の人に招待され、その家で食卓に着かれたところ、突然一人の女性が主イエスの後ろから近づき足元にひれ伏しました。その女性は涙で、主イエスの足をぬらし、自分の髪の毛で、それをぬぐったかと思うと、高価な香油を主イエスの頭に注ぎかけたのでした。周りにいた人たちは、一瞬何が起こったかと驚きました。そして、みんなでこの女性を批判し始めました。そこにいた何人かは、4節「なぜ、こんなに香油を無駄遣いしたのか。」と。もったいない、貧しい人に施すならば、どんなに喜ぶか分からないと彼女を批判しました。主イエスは7~9節「貧しい人々はいつ
2021年03月02日 17:45
聖書 マタイによる福音書21章1-11節
主イエスは、エルサレムに入城されるにあたって、自ら王としての儀式を持って入城して行かれました。エルサレムの人々も王として主イエスを迎えました。エルサレムは丁度、過越しの祭りの前で、ユダヤ全土から多くの巡礼者が来ていました。大勢の群衆は自分の上着を道に敷き、王を迎える礼儀で、棕櫚の枝を取って主イエスを迎えました。6節「ダビデの子ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ」は群衆の王を迎える言葉として記されています。この日から一週間、主イエスはエルサレムにおいて、その救いの御業を完成するために苦しみをお受けになるのです。
2021年02月24日 06:59
聖書 ルカによる福音書4章31-37節
カファルナウムというところは、ガリラヤ湖畔の北西にある町です。神の霊に満ちた礼拝をカファルナウムの人々は経験しました。32節「人々はその教えに非常に驚いた。その言葉には権威があったからである」と主イエスの教えに驚きました。33節「ところが会堂に、汚れた悪霊に取りつかれた男がいて、大声で叫んだ。『ああ、ナザレのイエスかまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ』」「汚れた悪霊」とは、神の支配に反逆する力です。神の御心に逆らう力であって、それが私たち人間を支配すると暗闇に引きずって行きます。35節「イエスが、『黙れ、この人から
2021年02月23日 17:24
聖書 ルカによる福音書4章14ー30節
16~17節で、主イエスは「いつもとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある箇所が目にとまった」とあります。その箇所とは18節にある預言者イザヤの書でした。なぜ主イエスはイザヤ書61章の言葉を読まれたのか。そこには「貧しい人に福音を告げ知らせるために」と、神から遣わされるものが来ると告げられていました。21節「そこでイエスは『この聖書のことばは、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した』と話し始められた」と話されました。この預言が今起こっていると言われたのです。この時
2021年02月13日 15:44
聖書 ルカによる福音書4章1-13節
主イエスが受洗されて後、この地上における伝道の生活を始められる間に、荒野で悪魔の誘惑がありました。3節「神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ」9節では「神の子なら、ここから飛び降りたらどうか」と。悪魔は、このイエスと言うお方が本当に神の子であるかどうか、そのことを試したかったのです。悪魔には、本物であるなら実際に証拠を見せてくれと言って、主イエスを引きずり降ろそうという意図がありました。神の子イエスがこの戦いをされたのは、私ども人間を救うためです。人間を救うために何をしようとしているのか、このように悪魔は問い、同時に私たちも問われています。
2021年02月02日 15:55
聖書 ルカによる福音書3章21-23節
今朝の記事は主イエスがバプテスマを受けられたときの記事です。21-22節「民衆が皆洗礼を受け、イエスと共に洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、『あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者』という声が、天から聞こえた」ここに記されている「祈っておられる」という言葉ですが、ルカは主イエスがいつも朝早く一人で祈っておられるお姿をしばしば書いています。主イエスは弟子たちをお選びになるときも、徹夜の祈りをなさったことが6章に出てきます。これは、主イエスは神との深いかかわりに生きておられるお姿です