2020年10月28日 13:33
聖書 マタイによる福音書28章16-20節
今朝は教会員と共に故人のことを思い集う永眠者記念礼拝です。マタイ福音書は2017年1月8日から4年間続けて学んできました。今日が最後になります。さて、復活されたイエスにお会いした11人の弟子たちは、これから教会の伝道、教会生活の柱となった人々ですが、16-17節に「さて、11人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた」このように、復活されたイエスにお会いした11人の弟子は、それでも彼らのうち2~3人か、4人か分かりませんが疑っていたと書いています。復活のイエスにお目にか
2020年10月21日 16:38
聖書 旧約聖書 創世記1章1-5節 新約聖書 コロサイの信徒への手紙1章15-16節
創世記1章の1節に「初めに、神は天地を創造された」とあります。この神が天地を掃除された時から、時間というのが始まりました。7節には人間は土の塵で造られたものとされています。聖書では人間の存在を塵のような小さいごみのように描き、自分が一体何者であるかを知らせています。ここで注目すべきことは、その人間に「いのちの息を吹き入れられた」そのことによって人間は「生きる者」となったということです。神から与えられる息、その霊として息が吹き入れられるとき人は生きているけれども、その息が絶えるとき人は生きる者ではないの
2020年10月21日 00:00
聖書 マタイによる福音書28章1-15節
マグダラのマリアとは、イエスのガリラヤ伝道において、7つの悪霊を癒され、それから12弟子たちと共にイエスに従った大勢の女性たちの中の一人です。ルカ福音書8章2節に「悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち、すなわち7つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア」と書かれています。キリストの愛に目覚めてからは、いつもキリストのそばにいる献身的な女性でした。キリストが十字架に架けられたとき、他の弟子たちが逃げ去った後も、キリストの十字架のもとに母マリアと共にいました。キリストの遺体が十字架から降ろされて墓に埋葬される時も離れな
2020年10月18日 00:00
聖書 マタイによる福音書27章57-66節
今朝は、イエス・キリストの埋葬の記事です。主イエスが十字架につけられたのが金曜日の午前9時で、十字架の上で亡くなられたのが午後3時でした。主イエスは、復活になった日曜日との間の土曜日に静かにお墓でお休みになりました。ここに初めて登場し、その後、また姿を消す人がいます。アリマタヤ出身の金持ちでヨセフという人です。アリマタヤのヨセフはすでに高齢であり、自分のために新しいお墓を用意していました。ところが、思いがけずイエスの死が起こりました。アリマタヤのヨセフはイエスを心ひそかに弟子として生きた人でした。そこでヨセフは決心して自分のお墓に主イエスを納めまし
2020年10月05日 14:58
10月4日(日)は水元教会創立26周年記念礼拝でした。
1994年10月2日(日)に、現在の水元教会から徒歩10分ほどにある齊藤宏牧師宅の6畳二間で「水元家の教会」として主日礼拝が持たれました。十年後に会堂が与えられ、2005年3月27日のイースター礼拝が現在の会堂での初めての礼拝だったそうです。齊藤牧師をはじめ、内城雄一先生、宮村重徳先生、小森裕之先生のお働きがあって今の水元教会が建てられてきました。教会員の奉仕や働きはもちろんですが、多くの方々からのお祈りと支えがあって26年に至りました。神様がここに教会を建ててくださっていることに、私たちは心より感謝をいたします。
コロナ禍にあって愛餐会
2020年09月28日 13:27
聖書 マタイによる福音書27章45-46節
水元教会は今年で創立26年を迎えます。かつて私たちは神なき人生を歩んでいました。しかし、ある時、キリストを信じて生きる者とされました。わたしたちはこの26年を迎えた水元教会の一員として、キリストを伝えることの使命を新たな自覚をもって歩んでいきたいと思います。 今朝の聖書の個所は、キリストの十字架と真実の意味について、私たちがどのように生きるかが問われているところでもあります。45節以下には「さて、昼の12時に、全地は暗くなり、それが3時まで続いた。3時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。『エリ、エリ、レマ、サバクダニ』これは、「わが神、わが神、なぜわたし
2020年09月22日 06:03
聖書 ヨナ書1章1-16節
今朝の説教はヨナ書です。ヨナは神からの命令を無視して、神の力の及ばない所へ逃げようとしたのです。わたしたちが神の召しに従わないで不信仰に陥るということは、ただ少し神を脇に置いておくということではありません。それは、神否定です。 ヨナが三日三晩、巨大な魚の腹の中にいたことは、イエスが十字架のあと、お墓の中で過ごし三日目に復活されたことを想起させます。ヨナは一旦はニネベを拒否しましたが、再度、神の命令によってニネべに向かいました。二度目の召しでは「ヨナが語る言葉は主が与えてくださる」だから「心配いらない」と告げられたのです。ヨナ自身が主体の時は、恐れしかなかったのでヨナ
2020年09月20日 00:00
聖書 マタイによる福音書27章27-44節
今日学ぶところは、主イエスの十字架に至る道です。マタイは、主イエスがどんなに苦しい思いをして十字架を背負って歩かれたかということは書いてはいません。ただ、裁きの場からゴルゴダへの道を簡潔に書いているだけです。途中の出来事は32節「兵士たちは出て行くと、シモンという名前のキレネ人に出会ったので、イエスの十字架を無理に担がせた」ということだけです。このキレネ人シモンは北アフリカ出身の人です。今までイエスと何の関わりのなかった者が、十字架を背負ったのです。自発性ではなく強制的に押し付けられたものでした。シモンはイエスとの出会いを与えられ、この出来事を通し
2020年09月08日 17:55
聖書 マタイによる福音書27章11-26節
11節に「さて、イエスは総督の前に立たされた」とあります。このマタイの書き方は、人を支配する実力を持ち、正義によって裁くべき権力者のピラトが、全く無力であったということを、この裁判全体を通して明確に示しています。19節「一方、ピラトが裁判の席に着いていたときに」その裁判の発言権もない妻が使いをよこして「あの正しい人に関係しないでください。その人のことで、わたしは昨夜、夢でずいぶん苦しめられました。」と伝言しています。この総督ピラトには、自分よりもっと上にローマの皇帝という支配者がいました。だから群衆が騒ぎ立て、自分の支配下で混乱が起こることは、自
2020年09月08日 14:12
聖書・讃美歌などはスクリーンに映して・・・新型コロナウイルス感染防止のため、お休みしていた「子どもの教会」の礼拝が9月6日(日)午前9:45より始まりました。礼拝の内容を少し簡略して、教会員の皆さんで、何とかしてコロナ対策をしながらの再開となりました。子どもの参加はありませんでしたが、子どもたちの心にイエス様の御言葉が伝わりますようにと、祈りつつの礼拝でした。(これは、大人の礼拝の写真です。)礼拝では、コロナ感染対策として教会の備え付けの聖書・讃美歌・交読詩編の使用をやめています。そのため、全てスクリーンに映して行いますので、どうぞ何も持たずにいらしてください。(ご自分の聖書・讃美歌を持参され