2020年09月28日 13:27
聖書 マタイによる福音書27章45-46節
水元教会は今年で創立26年を迎えます。かつて私たちは神なき人生を歩んでいました。しかし、ある時、キリストを信じて生きる者とされました。わたしたちはこの26年を迎えた水元教会の一員として、キリストを伝えることの使命を新たな自覚をもって歩んでいきたいと思います。 今朝の聖書の個所は、キリストの十字架と真実の意味について、私たちがどのように生きるかが問われているところでもあります。45節以下には「さて、昼の12時に、全地は暗くなり、それが3時まで続いた。3時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。『エリ、エリ、レマ、サバクダニ』これは、「わが神、わが神、なぜわたし
2020年09月22日 06:03
聖書 ヨナ書1章1-16節
今朝の説教はヨナ書です。ヨナは神からの命令を無視して、神の力の及ばない所へ逃げようとしたのです。わたしたちが神の召しに従わないで不信仰に陥るということは、ただ少し神を脇に置いておくということではありません。それは、神否定です。 ヨナが三日三晩、巨大な魚の腹の中にいたことは、イエスが十字架のあと、お墓の中で過ごし三日目に復活されたことを想起させます。ヨナは一旦はニネベを拒否しましたが、再度、神の命令によってニネべに向かいました。二度目の召しでは「ヨナが語る言葉は主が与えてくださる」だから「心配いらない」と告げられたのです。ヨナ自身が主体の時は、恐れしかなかったのでヨナ
2020年09月20日 00:00
聖書 マタイによる福音書27章27-44節
今日学ぶところは、主イエスの十字架に至る道です。マタイは、主イエスがどんなに苦しい思いをして十字架を背負って歩かれたかということは書いてはいません。ただ、裁きの場からゴルゴダへの道を簡潔に書いているだけです。途中の出来事は32節「兵士たちは出て行くと、シモンという名前のキレネ人に出会ったので、イエスの十字架を無理に担がせた」ということだけです。このキレネ人シモンは北アフリカ出身の人です。今までイエスと何の関わりのなかった者が、十字架を背負ったのです。自発性ではなく強制的に押し付けられたものでした。シモンはイエスとの出会いを与えられ、この出来事を通し
2020年09月08日 17:55
聖書 マタイによる福音書27章11-26節
11節に「さて、イエスは総督の前に立たされた」とあります。このマタイの書き方は、人を支配する実力を持ち、正義によって裁くべき権力者のピラトが、全く無力であったということを、この裁判全体を通して明確に示しています。19節「一方、ピラトが裁判の席に着いていたときに」その裁判の発言権もない妻が使いをよこして「あの正しい人に関係しないでください。その人のことで、わたしは昨夜、夢でずいぶん苦しめられました。」と伝言しています。この総督ピラトには、自分よりもっと上にローマの皇帝という支配者がいました。だから群衆が騒ぎ立て、自分の支配下で混乱が起こることは、自
2020年09月08日 14:12
聖書・讃美歌などはスクリーンに映して・・・新型コロナウイルス感染防止のため、お休みしていた「子どもの教会」の礼拝が9月6日(日)午前9:45より始まりました。礼拝の内容を少し簡略して、教会員の皆さんで、何とかしてコロナ対策をしながらの再開となりました。子どもの参加はありませんでしたが、子どもたちの心にイエス様の御言葉が伝わりますようにと、祈りつつの礼拝でした。(これは、大人の礼拝の写真です。)礼拝では、コロナ感染対策として教会の備え付けの聖書・讃美歌・交読詩編の使用をやめています。そのため、全てスクリーンに映して行いますので、どうぞ何も持たずにいらしてください。(ご自分の聖書・讃美歌を持参され
2020年09月02日 15:01
聖書 マタイによる福音書27章1-10節
ユダはキリストを裏切ったことを後悔して神殿に銀貨30枚を投げ込んで死んでいきました。祭司長たちはこの銀貨で畑を買い取ります。罪なきイエスの血の代価で買い取られた「血の畑」とは旧約聖書エレミヤ書32章25節の言葉です。神はエレミヤに、エルサレムはバビロン王の手に渡されるが、やがて必ず神が選民を連れ帰り、新しい契約を結び直すと約束されたのです。だから、神はエレミヤに主に仕えなさいと言われたのです。
キリストの十字架の死を巡って、キリストを裏切った2人の弟子とは、一人はペトロ、もう一人はイスカリオテのユダです。ペトロはキリストを裏切りながらも彼は悔い改
2020年08月25日 12:29
聖書 ダニエル書12章1-13節
誰もが人生の終末を、あるいは世界の最後ということを考えるのではないでしょうか。ダニエルに告げられた神の言葉は12章1節に「国が始まって以来、かつてなかったほどの苦難」があると記されています。続いて「しかし、その時には救われるであろう。お前の民、あの書に記されている人々は」とあります。2節「多くの者が他の塵の中の眠りから目覚める。ある者は永遠の生命に入り、ある者は永久に続く恥と憎悪の的となる。」それは永遠の生命に入る者と限りなく恥を受ける者との区別です。聖書は、終わりの時には何もかも一緒に水に流されると、言っていません。そして3節「目覚めた人々は大空の光のよう
2020年08月18日 06:58
聖書 マタイによる福音書26章69-75節
主イエスが逮捕された後、ペトロはひっそりとカヤパの官邸の中にもぐりこんだのです。しかし、女中から「あなたはあの人と一緒だった」と言われて、ペテロはそれを否定しました。イエスと共にいることがどんなに大きなことであったか、「主よ共にいてください」これこそ信仰の基本であり、私どもも何度も学んできたことです。この福音書の著者のマタイは、イエスがゲツセマネの園で祈られたときも、ペトロに「わたしと一緒に目を覚ましていてほしい」わたしと一緒にいて祈ってほしいと言われたことを記しています。それがイエスの弟子だということであり、イエスと共にあるということです。私ど
2020年08月16日 20:56
8月16日の主日礼拝の中で絵本朗読「字のないはがき」今月は、戦後75年の夏を迎え特に平和について考えたいと思います。コロナ禍にあって主日礼拝のみ守っていますが、今朝は礼拝の中でCSスタッフによる絵本の朗読がありました。子どもの教会はお休み中で子どもの出席はありませんでしたが、CSスタッフの鈴木マリ子さんが読む「字のないはがき」の絵本に皆が、くぎ付けになりました。「字のないはがき」は、作家の向田邦子さんが体験したご家族のお話で、戦争中に疎開をしていく幼い妹さんを心配するご両親や兄弟姉妹の様子が描かれています。
2020年08月11日 07:08
聖書 マタイによる福音書26章57-75節
マタイによる福音書の中で、キリストの受難のところを、今週と来週の2回に分けてお話します。エルサレムはイスラエルの国中から集まった人々で一杯でした。一年に一度のユダヤの最大の祭りである過越しの祭りのお祝いでした。イスカリオテのユダは、キリストを敵の手に渡すことをして、祭司長たちは、このユダの手引きによってキリストを捕らえることに成功しました。お祝いの祭りの背後で、黒い影がキリストの周囲に忍び寄っていたのでした。キリストはその事態のすべてをご存知でした。イスカリオテのユダが人目を避けて罪を犯そうとしている時、一方のキリストは、すべての人の罪のために、自