記事のアーカイブ

2020年09月02日 15:01

2020.9.6 宣教「契約の祝福」

聖書  マタイによる福音書27章1-10節  ユダはキリストを裏切ったことを後悔して神殿に銀貨30枚を投げ込んで死んでいきました。祭司長たちはこの銀貨で畑を買い取ります。罪なきイエスの血の代価で買い取られた「血の畑」とは旧約聖書エレミヤ書32章25節の言葉です。神はエレミヤに、エルサレムはバビロン王の手に渡されるが、やがて必ず神が選民を連れ帰り、新しい契約を結び直すと約束されたのです。だから、神はエレミヤに主に仕えなさいと言われたのです。  キリストの十字架の死を巡って、キリストを裏切った2人の弟子とは、一人はペトロ、もう一人はイスカリオテのユダです。ペトロはキリストを裏切りながらも彼は悔い改
2020年08月25日 12:29

2020.8.30 宣教「終末の信仰」

聖書 ダニエル書12章1-13節  誰もが人生の終末を、あるいは世界の最後ということを考えるのではないでしょうか。ダニエルに告げられた神の言葉は12章1節に「国が始まって以来、かつてなかったほどの苦難」があると記されています。続いて「しかし、その時には救われるであろう。お前の民、あの書に記されている人々は」とあります。2節「多くの者が他の塵の中の眠りから目覚める。ある者は永遠の生命に入り、ある者は永久に続く恥と憎悪の的となる。」それは永遠の生命に入る者と限りなく恥を受ける者との区別です。聖書は、終わりの時には何もかも一緒に水に流されると、言っていません。そして3節「目覚めた人々は大空の光のよう
2020年08月18日 06:58

2020.8.23 宣教「キリストの苦難の意味」

聖書  マタイによる福音書26章69-75節  主イエスが逮捕された後、ペトロはひっそりとカヤパの官邸の中にもぐりこんだのです。しかし、女中から「あなたはあの人と一緒だった」と言われて、ペテロはそれを否定しました。イエスと共にいることがどんなに大きなことであったか、「主よ共にいてください」これこそ信仰の基本であり、私どもも何度も学んできたことです。この福音書の著者のマタイは、イエスがゲツセマネの園で祈られたときも、ペトロに「わたしと一緒に目を覚ましていてほしい」わたしと一緒にいて祈ってほしいと言われたことを記しています。それがイエスの弟子だということであり、イエスと共にあるということです。私ど
2020年08月16日 20:56

礼拝の中で平和を祈って絵本朗読

8月16日の主日礼拝の中で絵本朗読「字のないはがき」今月は、戦後75年の夏を迎え特に平和について考えたいと思います。コロナ禍にあって主日礼拝のみ守っていますが、今朝は礼拝の中でCSスタッフによる絵本の朗読がありました。子どもの教会はお休み中で子どもの出席はありませんでしたが、CSスタッフの鈴木マリ子さんが読む「字のないはがき」の絵本に皆が、くぎ付けになりました。「字のないはがき」は、作家の向田邦子さんが体験したご家族のお話で、戦争中に疎開をしていく幼い妹さんを心配するご両親や兄弟姉妹の様子が描かれています。
2020年08月11日 07:08

2020.8.16 宣教「キリストの証言」

聖書 マタイによる福音書26章57-75節  マタイによる福音書の中で、キリストの受難のところを、今週と来週の2回に分けてお話します。エルサレムはイスラエルの国中から集まった人々で一杯でした。一年に一度のユダヤの最大の祭りである過越しの祭りのお祝いでした。イスカリオテのユダは、キリストを敵の手に渡すことをして、祭司長たちは、このユダの手引きによってキリストを捕らえることに成功しました。お祝いの祭りの背後で、黒い影がキリストの周囲に忍び寄っていたのでした。キリストはその事態のすべてをご存知でした。イスカリオテのユダが人目を避けて罪を犯そうとしている時、一方のキリストは、すべての人の罪のために、自
2020年08月06日 06:04

2020.8.9 宣教「愛の偽装」

聖書 マタイによる福音書26章47-56節  52節でイエスが「剣を取る者は皆、剣で滅びる」と言われた言葉は、剣をもって戦う者は、その剣によって、ある場合には勝つかもしれないが、結局は滅びる。だから国が軍備をもってはならないのだというように一般的に解釈されていると考えられています。イエスの言葉を、そのまま軍備に結びつけることは出来ませんが、剣や棒を持って大勢の群衆が力ずくでイエスを捕えようと争っている中で、主イエスご自身が剣を捨てておられるということに私たちは目を注いでいかなければならないと思います。主イエスご自身がご自分の道を全うするためには、剣を捨てておられるのだということです。
2020年07月28日 12:54

2020.8.2 宣教「キリストの決意」

聖書 マタイによる福音書26章36-46節  今日のテキストは主イエスが逮捕される直前、ゲツセマネでひたすらお祈りをなさったお話です。37-38節「ペトロおよびゼベダイの子二人を伴われたが、そのとき、悲しみもだえ始められた。そして、彼らに言われた。『わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい。』」主イエスは弟子たちに「わたしと共に目を覚ましていなさい」と言われたのです。主イエスの祈りはますます深くなっていきました。しかし弟子たちは眠ってしまいます。40節「あなたがたはこのように、わずか一時もわたしと共に目を覚ましていられなかったのか」と主イエスは言われました。「
2020年07月21日 16:56

2020.7.26 宣教「ダニエルの祈り」

聖書 ダニエル書9章1-19節  1節「ダレイオスの治世第一年のことである。」ダニエルはバビロン捕囚になって66年が経過し、年齢は80歳を超えていました。そのとき、ダニエルはエレミヤ書を読みました。聖書を読み、こうして2節「さて、わたしダニエルは文書を読んでいて、エルサレムの荒廃の時が終わるまでには、主が預言者エレミヤに告げられたように70年という年数のあることを悟った」のです。そこでダニエルは祈りました。4節から19節はダニエルの祈りです。祈りの中でダニエルは「我々は罪を犯しました」と言っています。迫害されるものが迫害するものと同じように罪を犯したというのです。「神よ、わたしたちは罪を犯し、
2020年07月13日 18:21

2020.7.19 宣教「契約の血」

聖書 マタイによる福音書26章26-35節  主イエスはご自分の死を前にして、まさしく絶望の闇の中で「いのちの約束」について語っておられます。この朝、特に心に刻むべき言葉は、29節「言っておくが、わたしの父の国であなたがたと共に新たに飲むその日まで、今後ぶどうの実からつくったものを飲むことは決してあるまい。」もう一つは29節「しかし、わたしは復活した後、あなたがたよりも先にガリラヤへ行く」です。私たちの教会では毎月第一聖日に聖餐式を行っています。最後の晩餐は主イエスが私どもと共にぶどうの実からぶどう酒を飲んでくださる日です。私たちは、聖餐において主イエスの罪の赦しの血にあずかります。式文で読ま
2020年07月06日 12:48

2020.7.12 宣教「極限の愛」

聖書 マタイによる福音書26章14-25節  21節「一同が食事をしているとき、イエスは言われた。『はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている』」と、主イエスは最後の晩餐の席で言われました。ご自分が間もなくユダヤの指導者の手に渡され、殺されるのだということ預言なさいました。それを聞いた弟子たちは22節「非常に心を痛めて『主よ、まさかわたしのことでは』と代わる代わる言い始めた。」のでした。弟子たちが「心を痛めた」というのは、非常に悲しんだということです。誰が主イエスを裏切るのか、そのことが気になったのですが弟子たちは誰も誰が裏切るかを問いませんでした。本当は自分はそ

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