記事のアーカイブ

2020年08月06日 06:04

2020.8.9 宣教「愛の偽装」

聖書 マタイによる福音書26章47-56節  52節でイエスが「剣を取る者は皆、剣で滅びる」と言われた言葉は、剣をもって戦う者は、その剣によって、ある場合には勝つかもしれないが、結局は滅びる。だから国が軍備をもってはならないのだというように一般的に解釈されていると考えられています。イエスの言葉を、そのまま軍備に結びつけることは出来ませんが、剣や棒を持って大勢の群衆が力ずくでイエスを捕えようと争っている中で、主イエスご自身が剣を捨てておられるということに私たちは目を注いでいかなければならないと思います。主イエスご自身がご自分の道を全うするためには、剣を捨てておられるのだということです。
2020年07月28日 12:54

2020.8.2 宣教「キリストの決意」

聖書 マタイによる福音書26章36-46節  今日のテキストは主イエスが逮捕される直前、ゲツセマネでひたすらお祈りをなさったお話です。37-38節「ペトロおよびゼベダイの子二人を伴われたが、そのとき、悲しみもだえ始められた。そして、彼らに言われた。『わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい。』」主イエスは弟子たちに「わたしと共に目を覚ましていなさい」と言われたのです。主イエスの祈りはますます深くなっていきました。しかし弟子たちは眠ってしまいます。40節「あなたがたはこのように、わずか一時もわたしと共に目を覚ましていられなかったのか」と主イエスは言われました。「
2020年07月21日 16:56

2020.7.26 宣教「ダニエルの祈り」

聖書 ダニエル書9章1-19節  1節「ダレイオスの治世第一年のことである。」ダニエルはバビロン捕囚になって66年が経過し、年齢は80歳を超えていました。そのとき、ダニエルはエレミヤ書を読みました。聖書を読み、こうして2節「さて、わたしダニエルは文書を読んでいて、エルサレムの荒廃の時が終わるまでには、主が預言者エレミヤに告げられたように70年という年数のあることを悟った」のです。そこでダニエルは祈りました。4節から19節はダニエルの祈りです。祈りの中でダニエルは「我々は罪を犯しました」と言っています。迫害されるものが迫害するものと同じように罪を犯したというのです。「神よ、わたしたちは罪を犯し、
2020年07月13日 18:21

2020.7.19 宣教「契約の血」

聖書 マタイによる福音書26章26-35節  主イエスはご自分の死を前にして、まさしく絶望の闇の中で「いのちの約束」について語っておられます。この朝、特に心に刻むべき言葉は、29節「言っておくが、わたしの父の国であなたがたと共に新たに飲むその日まで、今後ぶどうの実からつくったものを飲むことは決してあるまい。」もう一つは29節「しかし、わたしは復活した後、あなたがたよりも先にガリラヤへ行く」です。私たちの教会では毎月第一聖日に聖餐式を行っています。最後の晩餐は主イエスが私どもと共にぶどうの実からぶどう酒を飲んでくださる日です。私たちは、聖餐において主イエスの罪の赦しの血にあずかります。式文で読ま
2020年07月06日 12:48

2020.7.12 宣教「極限の愛」

聖書 マタイによる福音書26章14-25節  21節「一同が食事をしているとき、イエスは言われた。『はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている』」と、主イエスは最後の晩餐の席で言われました。ご自分が間もなくユダヤの指導者の手に渡され、殺されるのだということ預言なさいました。それを聞いた弟子たちは22節「非常に心を痛めて『主よ、まさかわたしのことでは』と代わる代わる言い始めた。」のでした。弟子たちが「心を痛めた」というのは、非常に悲しんだということです。誰が主イエスを裏切るのか、そのことが気になったのですが弟子たちは誰も誰が裏切るかを問いませんでした。本当は自分はそ
2020年06月29日 12:51

2020.7.5 宣教「キリストへの愛」

聖書 マタイによる福音書26章1-13節  1節から5節でイエスはご自身が十字架につけられるために引き渡される。と言われました。それから6節「さて、イエスがベタニアで重い皮膚病の人シモンの家におられたとき、一人の女が、きわめて高価な香油の入った石膏の壺をもって近寄り、食事の席に着いておられるイエスの頭に香油を注ぎかけた。」と、ここでマタイは「一人の女」とだけ書いています。主イエスもまた、同様にこの人の名前を呼んではおられません。12節を読みますと「この人はわたしの体に香油を注いで、わたしを葬る準備をしてくれた。はっきり言っておく。世界中どこでも、この福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたこと
2020年06月23日 08:05

2010.6.28 宣教「苦難の中の信仰」

聖書 ダニエル書3章8-13節 人生には、誰にとっても辛いことがつきまといます。それは信仰に生きる人の生活でも変わりません。ダニエル書の主題の一つが、この地上の人生の苦難の中を生きる信仰にあります。今朝の3章は特にダニエル書でも有名な「燃え盛る炉の中」に投げ込まれたダニエルの友人である三人の若者の話しです。17-18節「私たちのお仕えする神は、その燃え盛る炉や王様の手から私たちを救うことが出来ますし、必ず救ってくださいます。そうでなくても、ご承知ください。わたしたちは王様の神々に仕えることも、お建てになった金の像を拝むことも、決していたしません。」と、ネブカドネツェル王に偶像を拝むことを拒否し
2020年06月16日 12:25

2020.6.21 宣教「小さな愛のわざ」

聖書 マタイによる福音書25章31-46節  40節の「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」との言葉と、45節の「はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。」が重なるように記されています。ここに出て来る「最も小さい者」というのは何の値打ちもない者と思われている者です。さらにすべての人というのではなく「たった一人」にしたことが問われています。そこで行われるわざというのは一体なんでしょうか?これはただ、その人が飢えていた時に食べさせてあげる、渇いている時に一杯の水を与える
2020年06月13日 06:53

2020.6.14 宣教「小さいことに忠実な者」

聖書 マタイによる福音書25章14-30節 信頼する僕たちに、主人は、5タラントン、2タラントン、1タラントンずつのお金を預けました。そのお金の預け方は「それぞれの能力に応じて」でした。才能に合わせて神が与えてくださった「神からの使命であり課題」で、それは「神の宝」でした。三人の僕は、みなそれぞれに才能がありました。それぞれに神の仕事が委ねられました。神は決して差別しておられません。2タラントンの賜物を与えられた僕は、5タラントンの仕事をした僕と同じように主人に喜ばれています。『主人と一緒に喜んでくれ』と、その喜びに差はありません。このタラントンとは何を意味しているのでしょうか。何も語られてい
2020年06月07日 13:58

6月からの礼拝と諸集会について

 6月からの礼拝と諸集会について6月7日の役員会で話し合いました。  新型コロナウイルス感染拡大防止による緊急事態宣言は解除されましたが、まだ油断の出来ない状況です。そのため、6月から8月迄は  〇礼拝   毎日曜日の礼拝は10時半からの主日礼拝のみ行います。   子どもの教会の礼拝と夕礼拝は8月迄はお休みにいたします。     ...

サイト内検索

お問い合わせ先

水元教会 東京都
葛飾区水元2-5-9
125-0032
03-3607-0910