2020年06月03日 06:49
聖書 マタイによる福音書25章1-13節
10人のおとめのたとえは、主イエスが語って下さったお話です。10人のおとめは花婿を迎える務めを与えられました。そこで主イエスは2節で「5人は愚かで、5人は賢かった」と二組がいたと話されます。この5人の思慮浅いおとめの愚かさはどこに表れたのでしょうか。それは、明かりは用意していたが、その明かりを絶やさないための「油」を用意していなかったことです。賢い者はその逆で「油」を用意していました。夜が更けても花婿が現れないので10人のおとめたちは皆、眠ってしまいました。夜中に「花婿が来た、さあ迎えに出なさい」という呼び声がして一斉に飛び起きました。そのとき、準備が
2020年05月25日 16:57
聖書 使徒言行録1章1-11節
使徒言行録第1章にキリストの昇天の記事が記されています。9節に「イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった」と記されています。このようなことが書かれていますと、少し正直なところ戸惑います。それは、キリストが天に上げられたという現象だけではありません。クリスマスの出来事を記したマタイ福音書2章2節「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちは東方でその方の星を見たので、拝みにきたのです」とあり、ベツレヘムの星、羊飼いと天使、東方の博士たちのことが書かれているのと同じです。これらのことが、歴史上本当に
2020年05月19日 07:23
聖書 マタイによる福音書24章32-51節
主イエスは38節以下で創世記が伝えるノアについて語られました。ノアの物語を主イエスの時代に持ち込んだものですが、それは今この時代に生きる私どもに対する問いかけとして聴くべきことです。「終わらせる時が来ている」というのは、神様がこの地上の現実の悲惨さをご覧になって「地上に、人を造ったことを後悔し、心を痛められた」のです。そこで「すべて肉なるものの終わりが、わたしの前に来た」と言われたのです。神様が「滅ぼす」目的は、正しい人を「生き延びさせる」ためです。そのためにノアとその家族が選ばれました。ノアという人は神様から舟を作るように言われました。ノアはこっそ
2020年05月15日 05:42
聖書 マタイによる福音書24章15-31節
主イエス・キリストが語られる受難の物語です。主イエスは、ご自分の死を前にして、この24章において長く心をこめて語られることは、自分はまもなく死んでいくが、それですべてが終わるのではない。必ずやがて私は再び来るという約束です。自分が現れるということは、あなた方の日々の生活に無関係ではない、だから確かな信仰の道を歩んでほしいと最も大切なことを教えておられます。15節「預言者ダニエルの言った憎むべき破壊者が、聖なる場所に立つのを見たら」という言葉から始まります。預言者ダニエルとは旧約聖書ダニエル書に記されています。聖なる場所というのはエルサレム神殿で、神殿
2020年05月11日 11:46
新型コロナウイルス感染拡大を防ぐため水元教会では、5月中も日曜日の聖日礼拝のみ行うことにいたします。夕礼拝、聖書研究祈祷会、キリスト教入門講座、がんばらない体操、日本語教室はお休みします。どうぞ、皆様お気をつけてお過ごしください。新型コロナウイルスの一日も早い収束をお祈りいたします。
2020年05月04日 21:18
聖書 マタイによる福音書24章1-14節
今日のテキストの個所は福音書の中の黙示録、あるいは黙示文学と呼ばれているところです。黙示とは「秘密を明かす」ということ、信頼できる人に秘密をを知らせる意味を持っています。その秘密とは、世の終わりです。1節に「イエスが神殿の境内を出て行かれると、弟子たちが近寄って来て、イエスに神殿の建物を指さした」とあります。これは23章38節に記されている「見よ、お前たちの家は見捨てられて荒れ果てる」つまり神殿は破壊されるということです。弟子たちには、主イエスの言葉は信じられない思いがありました。こんな立派な建物が崩壊することはない、どういう意味なのか不安であったと思
2020年04月27日 22:23
聖書 マタイによる福音書23章25-39節
28節に「外側は人に正しいように見えながら、内側は偽善と不法で満ちている」と記されています。立派なことを言うけれども心の中は全く別の考えであり、表面は良い生活をして見せるような人を偽善者と言います。人間とは、外側での正しい生活、人々からよく見える生活をするものです。そして、偽善は人々には見抜けません。「内側にひそんでいる偽善を、見抜けるのは神様だけ」です。自分でも見抜けないのです。人は、主イエスが見るその鋭さと深さにおいて自分の偽善の罪を見ることになります。教会においても人間の集まりである限り、そこには互いの偽善を作るよりほかありません。その偽善
2020年04月27日 11:46
新型コロナウイルス拡大予防のため水元教会では、教会員の方々には礼拝をインターネットでのライブ配信も活用していただいて、自宅にあっても共に礼拝が守れますことをお願いしています。また、礼拝に与かれなかった方へは、礼拝説教の要約と週報を郵送しております。このような状況の中、4月26日(日)は少ない礼拝出席数でしたが、委任状を郵送してくださった教会員の方々もありまして、無事に定期総会を行うことが出来ました。2019年度定期総会日時:2020年4月26日(日)礼拝後場所:日本基督教団 水元教会 礼拝堂議長:藤垣昭雄牧師書記:市原茂議長による開会祈祷と定足数確認後、1、2019年度報告教勢の件2、2019
2020年04月23日 14:45
聖書 コリントの信徒への手紙第一13章13節
「信仰、希望、愛、このうち最も大いなるものは愛である」。これは、2020年度の水元教会の聖句として教会員の投票によって選出されました。この聖句をを書かれたのは二人の姉妹ですが、教会のために祈っておられる人たちが、この聖句を取り上げられたことに感謝します。いつまでも残るもの、永遠に存続するものは、この世に多くはありません。キリストを信仰する生活をする私たちの生活は神と共に生きていくことであります。その信仰とは現実の生活とのかかわりがなければ空しいものであります。信仰には仰ぐ対象があります。それは神であり私たちの信仰の態度は神に向けることであります。そ
2020年04月15日 18:24
聖書 マタイによる福音書28章16-20節
19節「だから、あなた方は行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなた方に命じておいたことをすべて守るように教えなさい。」このイエスの宣教命令を聞くまでは、弟子たちは故郷のガリラヤに帰って漁師になるか、あるいは徴税人として仕事をするか、それが出来なければ何か他の商売でもして生きていこうと思っていたかもしれません。弟子たちが見ている世界は狭かったのです。ところがイエスの宣教命令は、今までガリラヤの小さな漁村で生きてきた弟子たちにとって、とんでもない目がくらむような思いがしたと思います。実現できるとは思わ