記事のアーカイブ

2020年04月08日 05:48

2020.4.12 宣教「復活者イエス」

聖書 マタイによる福音書28章1-20節  現代に生きる私どもは、死後の世界を考えることはなくなってしまい、死んだら、もう終わりだと思っています。人間的にはそれは合理的な考えだと思います。肉体がなくなれば、もう二度と会うことが出来ません。今朝のテキストのあるキリストの復活の出来事に、多くの人はつまずきます。死からよみがえることなど、理性では理解ではできないからです。  イエス・キリストがよみがえったこと、そして弟子たちの故郷ガリラヤに帰る時、復活のイエスが先にガリラヤに着いていることを福音書は記しています。人生の中で最も確実だと思われた死の確かさを弟子たちは疑い始めました。墓を閉じていた石が取
2020年04月05日 16:03

4月も聖日礼拝のみ行います。

新型コロナウイルス感染の拡大を防ぐため、3月に続き4月も礼拝のみ行います。 4月12日㈰のイースター(復活際)は、朝10時半~礼拝を行います。 礼拝は、インターネットで配信しております。 礼拝案内をクリック→下方に「主日礼拝は実況ライブで配信中です」とありますので アドレスをクリックしてご覧ください。 遠方からの方々は、自宅にてインターネットで共に礼拝に与りましょう。 どうぞ、くれぐれも皆様、神様のお守りの中で、お気をつけてお過ごしください。 昨年のアドベントコンサートの時、来てくれた小学生の女の子がチューリップの球根をくれました! ずーっと教会のみんなが、芽が出るかな~、大きくなるかな~、
2020年03月31日 15:13

2020.4.5 宣教「神と人との平和」

聖書 マタイによる福音書27章45-56節  45節以下には「さて、昼の12時に、全地は暗くなり、それが3時まで続いた。3時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。『エリ、エリ、レマサバクダニ』これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である」。神の子が人にあざけられ、弟子たちにも捨てられ、神にも見捨てられるというのは、何のためかというならば、私どもの罪のためです。本当は私どもが捨てられるべきものであったのです。イエスは十字架において苦しみ抜かれました。しかし、その苦しみの中にすでに神の安らぎが始まっていました。十字架の記事を書いたマタイは、その後に50節「しかし、イエス
2020年03月24日 10:54

2020.3.29 宣教「十字架への道」

聖書 マタイによる福音書27章27-44節  今日のテキストは、主イエスが十字架につけられるに至る「十字架への道」の部分です。それは実際にイエス・キリストが歩まれた道です。裁きの場からゴルゴダへの道をマタイは簡潔に書いています。途中、32節「兵士たちは出て行くと、シモンという名前のキレネ人に出会ったので、イエスの十字架を無理に担がせた」と記されています。重い十字架を背負って、狭い道を歩むことは、イエスにとっては無理なことです。ローマの兵隊たちは、通りすがりのキレネ人シモンに無理やりにその十字架を背負わせました。今まで何の関わりもなかった者が、この世のすべての人の救いと関りを持つ十字架を背負った
2020年03月17日 07:29

2020.3.22 宣教「偽善の罪」

聖書 マタイによる福音書23章13-24節  マタイによる福音書5章から7章にある「山上の説教」には、貧しさ、悲しみ、柔和、義に対する飢え渇き、あわれみ、心の清さ、平和をつくり出しこと、義のために迫害されること、この8つのことは「幸いである」と繰り返されています。 さて、今朝のテキスト23章13節には「律法学者たちとファリサイ派の人びと、あなたたち偽善者は不幸だ」と語っています。そして、15節、16節、23節、25節、27節、29節に「不幸」が8つ出て来ます。これは山上の説教の幸いと対比されているように思います。キリストの活動は3年程であったと言われています。伝道活動をしてきた者が、その終わり
2020年03月15日 15:37

2020.3.15 宣教「最も偉大な者」

聖書 マタイによる福音書23章1-12節 11節、12節「あなた方のうちでいちばん偉い人は、仕える者になりなさい。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」。人からの評価が気になるという人は、自分を少しでも高いところに置こうとします。そのときに仕えることを忘れている時に、神への罪を犯してしまうことがあります。ここに出て来る「偉い人」というのは、単純に「大きい」存在ということばです。大きな存在になりたい。教会の奉仕、家庭の中で、職場で自分の行為について誰も認めてくれない時、わたしたちはいらだち、心が満たされない思いになります。しかし、どこに置かれても、どこで苦しむことがあっても、自分
2020年03月11日 10:07

3月中は聖日礼拝のみ行います。

3月中は聖日礼拝のみ行います。 新型コロナウイルスの感染対策として、役員会に於いて、3月中の子どもの教会・夕礼拝・聖書研究祈祷会・やさしいキリスト教入門・がんばらんない体操・日本語教室のすべてをお休みすることになりました。 新型コロナウイルスに感染された方々の一日も早い回復と、新型コロナウイルスの収束を心よりお祈りいたします。
2020年03月04日 18:48

2020.3.8 宣教「救い主とは誰か。」

聖書 マタイによる福音書22章41-46節 イエスは「あなたたちはメシアのことをどう思うか。誰の子だろうか」そういう問いをされました。「ダビデの子」とはいったい何を意味するのでしょうか。あなたが思い描くダビデの子、メシアと同じ救い主であるのか。45節で「このようにダビデがメシアを主と呼んでいるのであれば、どうしてメシアがダビデの子なのか」。あるいは21章にエルサレム入城の場面を描いた時に、この主イエスを迎えた人々が、「ダビデの子に、ホサナ」そう歌ったということを肯定的に書いています。ダビデの子よ、私どもを救いたまえとイエスを迎えました。ダビデの子孫の中にメシアが生まれることを期待しているユダヤ
2020年02月24日 12:32

2020.3.1 宣教「神への愛」

聖書 マタイによる福音書22章34-40節 35節「そのうちの一人、律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた。『先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか』」この「どの掟が最も重要か」とは、それほどに当時の掟はたくさんあったのです。主イエスは「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」そして「隣人を自分のように愛しなさい」という二つの戒めを、旧約聖書の中から引用されて、ここにすべてがあると言われました。ここに神への愛が問われ、隣人への愛が問われています。キリストが教えてくださった神を愛するということは、自分の生涯の歩みを決定的にしてしまうほどの意味を持ってい
2020年02月23日 17:34

2020.2.23 宣教「先立つ主イエスに身を委ねて」

聖書 マタイによる福音書8章18-27節   今朝は、講壇交換により北千住教会の平沢功牧師に宣教をしていただきました。 私たちは、イエスの弟子として「向こう岸」を見つめて取り組んでいかねばならないのではないでしょうか。ただその船にはイエス様が先だって乗っておられるのです。また、私たちはこの願いが御心に叶っているかどうかと、毎週、毎日、聴く心を持っていなければなりません。時には嵐に遭う時があります。どんなに私たちの知識や技術や経験があっても役に立たない嵐です。しかし、24節に記されているように、嵐の時にでも一人ゆっくりと眠っておられたイエス様に、私たちは、どんなときにも神に信頼すること

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