記事のアーカイブ

2019年12月26日 08:46

クリスマス燭火礼拝

12月24日(火)午後5時よりクリスマス燭火礼拝をしました。 平日の夕方ということもあり出席は15名でしたが、暗い会堂に手に持ったペンライトを灯して静かに私たちの救い主イエス・キリストのご降誕に、心からの喜びをもって感謝を捧げる礼拝となりました。 聖書の朗読は3名の方々にお願いしました。 燭火礼拝も礼拝案内にライブ配信されていますので、ぜひご覧ください。 礼拝後、皆さん一緒に教会の前でキャロル♫  それから、会堂でみんなでクリスマスイブの食卓を囲みました(^^)/ メリークリスマス!  
2019年12月23日 22:19

実現する神の言葉

ルカによる福音書2章1-20節 ルカによる福音書のイエス降誕物語は、簡潔に事実だけを告げています。1節「そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た」と記されていて、10節以下に天使の言葉が記されています。「天使は言った。『恐れるな。わたしは民全体に与えられる大きな喜びを告げる。』」イエスの誕生日を喜びの福音として皇帝アウグストゥスのもとで生まれたイエスの誕生こそ、神の言葉によって大きな喜びを人々に語り告げられたのだということを、ルカ福音書は強調しています。皇帝アウグストゥスの治世に、もう一人の王がお生まれになった。二人の王のうち、どちらが真実の王として人々の平和を
2019年12月23日 10:40

2019.12.22 クリスマス礼拝・クリスマス祝会

クリスマス礼拝は子供と大人の合同礼拝でした。 この日をみんなで祈りつつ準備をしてきました。 礼拝の中で東京理科大アカペラサークルchumの讃美がありました。讃美歌106番「あらののはてに」を英語で♪♫ 素晴らしいハーモニーです。思わずブラボー!と、でも礼拝ですので・・・心の中で叫びました(笑)  それから、子どもの教会のスタッフによる紙芝居は、菅原米子さんがしてくださいました。見入ってしまって写真を撮り忘れました・・・ごねんなさい。ぜひ、ライブの方でご覧くださいね。 宣教は「神は共におられる」と題して藤垣牧師です。神様が、いつも、どこにあっても共にいて下さるという信仰は私たちの力ですね。 そ
2019年12月17日 16:25

2019.12.22 宣教「神は共におられる」

聖書 マタイによる福音書1章18-25節 クリスマス礼拝の宣教の題を「神は共におられる」としました。それは、23節「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。」と記されているように、自分の信仰を告白する言葉でもあります。神を信じ、イエス・キリストを救い主と信じる我々には、神が共にいてくださることが力となるからです。イエスは人間としてユダヤの国で生まれました。彼は、一人の幼子となり神の子として、また一人のユダヤ人という人間としてして生きたのです。しかし、彼は自分の民を罪から救う者として、すなわち救い主としての一つの
2019年12月09日 13:46

2019.12.15 宣教「残りの者」

聖書 列王記上19章1-18節 聖書では、ごく少数の「残された者」たち、つまり神を信じている人たちによって、国が再建されていく様が記されています。聖書では「残りの者」という表現をしていますが、これはエリヤの時代の「7千人」のように、神の目的を果たすために、恵みによって残された人々のことです。18節「しかし、わたしはイスラエルに7千人を残す。これは皆、バアルにひざまずかず、これに口づけしなかった者である。」また「残りの者」は特にイザヤ書に記されています。イザヤ書10章20-21節で「その日には、イスラエルの残りの者とヤコブの家の逃れた者とは、再び自分たちを撃った敵に頼ることなく、イスラエルの聖な
2019年12月08日 20:16

12月8日(日)アドベントコンサート♪

天候もよく寒さも穏やかな中で、水元教会のアドベントコンサートが始まりました。 プログラムの最初は全員で讃美歌111番を賛美しました♪ ♪神の御子は今宵しも ベツレヘムに生まれたもう♫ アドベントはクリスマスまでの4週間を言います。 この111番のクリスマスの賛美をすると、だんだんとクリスマスが近づいて来る感じがしますね。   さてお待ちかね・・・次は、「シルバーシート」のお二人によるワーシップソング♫です。 銀座教会の青年会メンバーのダイチさんとシモンさんが駆けつけて来てくださったのです。 いつもは銀座教会で特別な集会の時に活躍されているとか・・・とっても爽やかな素敵な青年です! も
2019年12月02日 18:36

2019.12.8 宣教「わたしの魂は渇く」

聖書 詩編42編1-5節  2-3節「枯れた谷に鹿が水を求めるように、神よ、わたしの魂はあなたを求める。神に、命の神に、わたしの魂は渇く。いつ御前に出て、神の御顔を仰ぐことができるのか。」わたしたちは神の恵みばかり求めやすいものですが、神の愛は、わたしが神を愛して行くことにおいて初めて知ることができます。神を求めるとはそういうものではないでしょうか。わたしの魂が神を求めていくことにおいて、すでにわたしのような者を求めていてくださる神を知ることができるのです。「枯れた谷に鹿が水を求めるように」ということは、日照りの中に取り残された鹿にとっては、望むものはただ一滴の水です。谷の水を求めるように、わ
2019年11月27日 06:36

2019.12.1 宣教「イエスの系図」

聖書 マタイによる福音書1章1-6節  イスラエルの歴史は、文字通り「神の救いの歴史」です。系図に示されている一人一人は、それぞれの歴史の中で、あるものは神に背き、ある者は神に帰り、ある者は苦悩と罪の深い淵の底から神を求めて生きた人です。そこには、神の御手があり、神の導きが豊かに与えられたのです。しかし、この系図は私どもと何の縁もない外国人の名前が無意味に並べられているということではなく、一人一人の存在の意味を、神はその救いのわざの中に示しておられます。終末の救い主として、イエスの誕生を指し示しておられるのです。救い主が生まれるということの背後に、長い歴史の中に働いておられる神が、この「すべて
2019年11月23日 06:53

2019.11.24 宣教「エレミヤの嘆き」

聖書 哀歌1章16-22節  「哀歌」は全体で5章からなる短い書です。この書の主題は、都エルサレムの陥落と南ユダの国の滅亡です。ヘブライ語でこの「哀歌」は「エーカー」と呼ばれ、それは、「どうして?」「なぜだ?」という意味です。イザヤ書1章21節に、イスラエルの堕落について「どうして遊女になってしまったのか、忠実であった町が」と記されています。イザヤ、エレミヤなどの預言者が神の言葉を伝えました。でも、イスラエルの民は預言者の言葉を聞いても罪の意識がなかったのです。やがて、イスラエルの国が滅び、民はバビロン捕囚となり、エルサレムは荒廃しました。イスラエルの国は崩壊し、エルサレムが破壊されて、初めて
2019年11月12日 21:07

2019.11.17 宣教「審きと愛」

聖書 マタイによる福音書21章12-17節 十字架につけられる直前、イエスは厳しい決意をもって、ろばに乗ってエルサレムにお入りになりました。そして、そのまま神殿に直行なさったのです。12-13節「それから、イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いをしていた人々を皆追い出し、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けを倒された。そして言われた。「こう書いてある。『わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである。ところが、あなたたちは、それを強盗の巣にしている』」と。大混乱が生じたことと思います。主イエスには怒りがありました。この神殿に群がる人々に向かって、「あなたたちは、それを強盗の巣にしている」と言われたので

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