2019年05月15日 06:24
聖書 マタイによる福音書17章1-13節
主イエスはペトロとヤコブとヨハネの三人の弟子と共に高い山に登られました。この三人の弟子たちの前で、主イエスのお姿が変わりました。2節「顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。」これは「主イエスの変貌」と呼ばれてきた出来事です。このことは主イエスの本質、または正体が明らかになったことであり、人としてこの世に生きておられる主イエスが、神の子としての姿を、ここで明らかにしてくださったということです。その主イエスの姿を見たときにペトロは言いました。4節「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。」すると、このペトロの言葉に応えるように、は
2019年05月07日 13:39
聖書 マタイによる福音書16章21-28節
5月第二日曜日は「母の日」です。アメリカの教会で始まりましたが、1920年ごろから日本の教会でも母の日をお祝いするようになりました。今、天国にある母、あるいは今もこの地上にある母、母なくしては私どもの今日という日はありません。聖書の中には、愛について書かれた個所がいくつもあります。コリント第一の手紙13章7節「すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える」。一度忍んだからよいということでもなく、一度信じたらよいということでもありません。忍ぶという言葉は忍耐するという言葉ですが、それには包み隠すという意味があります。愛は、人間の失敗とか、
2019年04月30日 15:13
聖書 マタイによる福音書16章13-20節
16節「シモン・ペロとが、『あなたはメシア、生ける神の子です』と答えた」とあります。 イエスは、13節で「弟子たちに、人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった」のです。弟子たちの中には「洗礼者ヨハネだ」あるいは「預言者エリヤの再来だ」という人もありました。また優れた預言者であったエレミヤだと言っています。このように様々な理解がありました。 ペトロは「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えました。これが「ペトロのキリスト告白」です。この時に初めて人間の言葉、口をもって、イエスは神の子であり、メシア、キリストであると信仰の告白が語
2019年04月24日 16:35
聖書 ヨシュア記1章1ー9節
「わたしは、強く雄々しくあれと命じたではないか。うろたえてはならない。おののいてはならない。あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる」この1年この聖句を生かして水元教会は進んで行きたいと思います。
このヨシュア記のヨシュアとは、モーセの後継者です。イスラエルの民は40年間の荒野の放浪をしました。困難な日々でしたが、神からの約束の地カナンを前にします。モーセの後継者となったヨシュアが、今からヨルダン川を渡りカナンの地に入ることは易しいことではありませんでした。しかしヨシュアは強気でした。その理由は、彼は神がモーセに与えた約束を覚えていたからです。ヨシュアは、
2019年04月23日 11:00
4月21日(日) イースター礼拝とイースターコンサート
礼拝は子どもの教会の礼拝と合同でした。
礼拝の宣教の前に、CSスタッフの鈴木マリ子さんから「絵本 十字架への道」の読み聞かせがありました。子どもの出席は無くて残念でしたが、きっと皆さん、ほんわかとした気持ちになったと思います。これからも、ぜひ合同礼拝ではCSスタッフのお話をお願いしたいと思いました。子どもたちの礼拝出席を祈りつつ・・・宣教(詳しくは宣教ミニノートを見てください)の後は、聖餐式に与りました。感謝です。
お昼ご飯は「ハヤシライス」。前日にマリア会(婦人会)の方々が用意をしてくださいました。美味しかったです(^^)/ 1
2019年04月16日 08:34
イースター(復活祭)の ご案内
2019年 イースター(復活祭)は 4月21日(日)です。
水元教会では以下のようにイースターの予定をしています。
どの集会にも、どなたでもご出席ください。
受難週祈祷会
4月15日(月)~ 4月20日(土)
朝 10時半~12時
イースターの準備とイースターエッグ作り
4月20日(土)午後1時半頃~
ゆで卵にイースターラップを貼り付けます。
だれでも簡単に、たのしく出来てしまいます!
イースタ-礼拝
4月21日(日)朝10時半~12時
大人・子ども一緒の礼拝です。
礼拝後、簡単な昼食を用意
2019年04月15日 07:52
聖書 ルカによる福音書24章1-12節
1節「そして、週の初めの日の明け方早く、準備しておいた香料を持って墓に行った」と書いています。安息日の済んだ土曜日の明くる日の朝、日曜日のことです。夜明け前ですから、外は暗かったと思います。キリストの体に塗るための用意しておいた香油を持って、お墓に近づいて行きました。彼女が見たものは、墓の入り口にある石が転がされていること、お墓の中が見え、イエスの体はなかったということです。彼女たちは、4節「そのために途方に暮れていると」2人の天使が現れました。5節「あなたがたは、なぜ生きておられる方を死者の中に捜すのか。あのかたはここにはおられない。復活なさったのだ
2019年04月09日 17:03
聖書 ルカによる福音書23章32-43節
キリストが亡くなられたエルサレムのカルバリの丘には、三つの十字架が立てられました。真ん中にキリストが掛けられ、両側には二人の犯罪人がかけられていたのです。一人の犯罪人は、39節「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ」とののしり続けました。もう一人の犯罪人には、一つの変化が現れて来ました。「お前は神をも恐れないのか。同じ刑罰を受けているのに、我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない」と言いました。これは一体どういうことでしょうか?34節の「父よ、彼らをお許しください。自分が何をし
2019年04月02日 19:14
聖書 マタイによる福音書27章1-10節
1-3節に「夜が明けると、祭司長たちと民の長老たち一同は、イエスを殺そうと相談した。そして、イエスを縛って引いて行き、総督ピラトに渡した。そのころ、イエスを裏切ったユダは、イエスに有罪の判決が下さったのを知って後悔した」つまり、イエスが引き立てられる姿を見たときに、ユダは自分のしたことを後悔しました。ユダは自分のしたことがどんなに大変な事柄であったかという思いにいたったのです。ユダは、後悔すると「銀貨30枚を祭司長たちや長老たちに返そうとして」とあるように、彼は悔いた時に、すぐに形を表そうとしています。明らかにこの告白は、不正であった手口に対して、自