記事のアーカイブ

2018年10月30日 14:31

2018.11.4 宣教「天の国を知る者」

聖書 マタイによる福音書13章31-52節  主イエスは、天国について弟子たちに教えるために、いくつものたとえを話されました。31節「天の国はからし種に似ている」33節「天の国はパン種に似ている」とは、からし種もパン種も小さなものですが、その小さなものが、大きな木を生み出したり、物を大きく膨らませたりするということです、このたとえのように、神の支配の始まりは非常に小さいということです。目立たない、人々が無視してしまうほどに小さいものです。それが大きく育っていくのです。キリストのこの地上での活動は3年ほどでした。活動の場所は、パレスチナの小さな一部分で、キリストに影響を受けたのはわずかの人たちで
2018年10月27日 21:07

秋の特別伝道礼拝

山梨県峡南教会より森容子先生をお招きして 10月21日の特別伝道礼拝は峡南教会の森容子先生をお招きして行われました。 森容子先生と、水元教会の藤垣昭雄牧師は日本聖書神学校の同窓生として、共に夜間の神学校で学び合った仲間であります。ですから、今回、こうして特別伝道礼拝の講師として水元教会へお招き出来ましたことは、本当に嬉しく神様に感謝したいのです。   礼拝の出席者は37名。初めて水元教会にいらした方々も数名おられました。感謝です! 礼拝の宣教は旧約聖書ヨナ書4章1-11節でした。このヨナの物語を、今回、森先生は宗教改革者ルターの観点からとらえてお話をしてくだ
2018年10月24日 15:02

2018.10.28 宣教「神の沈黙」

聖書 ヨブ記31章1-40節  ヨブ記の主題は、なぜ、正しく生きる人の苦しみを神は沈黙しているのかという問いであると言えます。私たちにとって、最も不安な時は、神が沈黙しているときです。しかし、神はいつまでも沈黙なさいません。人生のさまざまな苦難に耐え、打ち勝っていくことが出来るのは、私どもの神への信頼、神への信仰の確立によって、苦しみに勝って余りあるという経験をしていくことが出来るのです。ヨブ記において神はどのように登場するのでしょうか。ヨブ記は42章までありますが、始めの1章と2章、終わりの38章から42章でしか神は語っていません。ヨブ記の主要部分であります3章から37章までは、神は一言も語
2018年10月22日 08:37

2018.10.21 宣教「ヨナ書の三つの霊的な意味」

聖書 ヨナ書4章1-11節 本日は、山梨県峡南教会より森容子牧師をお招きしての特別伝道礼拝でした。 宣教は副題としてールターに学ぶーとなっております。すなわち、旧約聖書のヨナ書を宗教改革者ルターがどのようにヨナ書を読み、解き明かしていたかというお話ですが、今までは子ども向きのヨナの物語としてとらえていたこの旧約聖書の物語の中に、ユダヤ教から、キリスト教へとつながる大切なポイントを非常に的確にお話し下さいました。その論理的な説き明しは目からウロコ的な新しい発見として、私たちの心に深い味わいを与えられたように思います。 森容子先生、大変に興味深いお話を本当にありがとうございました。
2018年10月09日 06:02

2018.10.14 宣教「良い木と良い実」

聖書  マタイによる福音書12章33-37節  私たちは、しばしば、あのようなことを言わなけばよかったとのにと後悔することがあります。また、あの人は口は悪いが、根は決して悪い人ではないから許してあげよう、と思うことがあります。しかし、今朝のテキストの34節の終わりの方でイエスは「人の口からは、心にあふれていることが出て来るのである」と言っておられます。水が自然にわきあふれて出て来るのと同じように、私たちの心の中にあるものが、言葉となってあふれて出ているのだと言われるのです。言葉には心が映っています。その「心」は、それは神に対して申し開きをしなければならない心です。私たちは自分だけの心を持ってい
2018年10月08日 11:25

創立24周年記念礼拝&感謝会!

水元教会は創立24周年を迎えました。 今朝は創立24周年記念礼拝を守りました。 ちょっと暑いぐらいのお天気。 講壇のお花も華やかに飾りました。 水元教会は今から24年前、ここからバスで一駅のところにある齊藤牧師宅の自宅の6畳間で礼拝が持たれました。 それから10年後、現在の場所にパン屋さんだった建物を改装して教会堂を持つことが出来ました。会堂の中の講壇もオルガンも長椅子も全てが献品なのです。ずっと、皆で手入れして大切に使わせていただいています。   今朝の礼拝の説教は「歴史の支配者」と題して藤垣牧師です。(今朝ははライブ配信は出来ませんでした。ごめんなさい
2018年10月04日 10:51

2018.10.7 宣教「歴史の支配者」

水元教会創立24周年記念礼拝 聖書 マタイによる福音書12章38-45節  主イエスは、このテキストで39節「よこしまで神に背いた時代」41節「今の時代」42節「今の時代」45節「悪い時代」というように「時代」という言葉を多く使われています。主イエスの時代とはどういう時代であったか、私どもの生きるこの「時代」とはどういう時代であるのかを考えてみたいと思います。「時代」とはそこに生まれて生きている人のことであって、すなわち私ども自身のことです。この時代を作っているのはこの時代に生きている私たち自身です。キリスト者も現代に生きています。時代を語るということは、自分を語ることでもあります。 43節の
2018年09月24日 17:12

2018.9.30 宣教「わたしを贖う方」

聖書 ヨブ記19章1-29節  25-27節で「私は知っている、わたしを贖う方は生きておられ、ついには塵の上に立たれるであろう。この皮膚が損なわれようとも、この身をもって、わたしは神を仰ぎ見るであろう。このわたしが仰ぎ見る、ほかならぬこの目で見る。腹の底から焦がれ、はらわたは絶え入る」と、ヨブは絶望の中で、このように語り、彼の死後に知人や親せきがヨブの名誉回復をしてくれることを望みました。25節にある「わたしを贖う者」というのは、自分にとって一番血の濃い近親者で「身請け人」になってくれる人のことです。「最後まで私の見方になってくれる私の身請け人」という意味が込められています。「ついには塵の上に
2018年09月18日 22:50

2018.9.23 宣教「聖霊と悪霊」

聖書 マタイによる福音書12章15-32節  32節に「人の子に言い逆らう者」と「聖霊に言い逆らう者」という二つの逆らう者の罪が平行して語られています。「人の子」とは、主イエスのことです。主イエスに対して言い逆らうこととは別に「聖霊に言い逆らう者」と語られているのです。「人の子に言い逆らう罪」とは何でしょうか。またさらに重い「聖霊に言い逆らう者」とは何でしょうか。ここに非常に難解な戸惑いが出て来ます。  主イエスがこの言葉を語られた相手はファリサイ派の人です。彼らは、主イエスの行っていることは、悪魔、サタンのわざであるということから始まりました。22節「そのとき、悪霊に取りつかれてて目が見えず
2018年09月18日 14:48

3教会で梨狩りに行きました!

楽しかったね。 3教会で行く梨狩り! 9月17日(月・敬老の日)堀切教会と北千住教会との 3教会合同で千葉県鎌ケ谷市初富の大山園へ梨狩りに行きました。 天候は曇り。雨じゃなくて良かったぁ・・・ 気温は暑いほどです(;'∀') まず、10:00北千住教会を出発。 続いて10:30堀切教会の皆さんが同流。 それから、水元教会でトイレ休憩。 バスに、お弁当・お茶を積み込みます。 11:10水元教会を出発! バスは前日に雲柱社でお借りしました。 運転はHさんです。よろしくお願いしま~す。 参加者39名。たくさんでうれしいで~す! で、バスのほか

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