2018年05月15日 18:14
聖書 使徒言行録2章1-4節、ローマの信徒への手紙8章26-30節
ローマ書8章26節「同様に”霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきか知りませんが、”霊”自らが言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。」これは短い言葉ですが、深い言葉だと思います。パウロは最初に「弱いわたしたち」と言っています。パウロはキリストを信じ、キリストが主であることを告白した人です。世間の人は、信仰を持っている人は強い人間だ考えているように思います。パウロはキリストを信じ、キリストが主であることを告白した人です。しかし、パウロ自身は肉体的な持病を持っていました。またそれだけ
2018年05月09日 07:32
聖書 マタイによる福音書9章9-13節
今日のテキストに、多分マタイによる福音書を書いた人だと言われているマタイが登場します。マタイは、10章3節に、イエスに選ばれた12人の使徒の中の一人として記されています。マタイは、どうして主イエスの弟子になったのか。それは、9節「イエスはそこをたち、通りすがりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、『わたしに従いなさい』と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った」。と短く記されています。「わたしに従いなさい」と言われて、彼は主イエスに従いました。このようにマタイが信仰に導かれたのは、非常に単純なことでした。ただイエスの何か説明が出来ないもの
2018年05月06日 05:12
聖書 マタイによる福音書8章28-34節
ここに登場する悪霊に取りつかれた二人は墓場で生活をしていました。人々から離れ、生きながら死んだ人間の仲間に加えられているのです。ます。彼らは、墓場から出て来ては生きている者たちを妨げます。29節「突然、彼らは叫んだ。『神の子、かまわないでくれ。まだ、その時ではないのにここに来て、我々を苦しめるのか。』」滅びの霊が、主イエスにイエスを「神の子」と呼んでいることは、悪霊は主イエスの正体を知っていたのです。
もう一つ注目したいのは、「まだ、その時ではないのに」という言葉です。「その時」とは「この世の終わりの時です。悪霊は「その時」は自分たちが滅ぼされる時
2018年04月25日 23:03
聖書 サムエル記下11章1-17節
旧約聖書の面白さとして、一つには人間の両面性を描いているところです。初代の王サウルの後を継いで、ユダ王国の基盤を築いたのはダビデであり、信仰の人として高い賜物を持っていました。一方、聖書はダビデの罪を描いています。ダビデも神に対して肯定的な人格と、罪を犯す人間性をもっているのです。ダビデの過ちについて、それはバトシェバに関わることです。ダビデは、忠実な部下のウリヤの妻バトシェバを側女にしました。ウリヤはダビデの行いに対して気がついていたと思います。ウリヤの心を察すると、命がけで戦地に行っている間に、自分の妻が側女にされたのですから、ダビデへの強い批判があり
2018年04月19日 07:17
聖書 マタイによる福音書9章1-8節
この聖書の箇所は多くの信仰者に愛されている物語です。中風の者が、主イエスのところに人々によって運ばれてきました。その中風の者に「あなたの罪は赦される」と主イエスが言われました。8節に「群衆はこれを見て恐ろしくなり、人間にこれほどの権威をゆだねられた神を賛美した。」と記されています。
特に「人間にこれほどの権威をゆだねられた神」とは権威のある言葉を語り、わざをしておられるのは、主イエス・キリストのことです。キリストの特性にはメシアである面と、人間としての面があります。キリストは弟子たちに「お前たちは、わたしを誰と言うか」と質問されました。ペトロは「あなたは
2018年04月13日 06:22
聖書 マタイによる福音書8章23-27節
23節「イエスが舟に乗りこまれると、弟子たちも従った」とあります。わたしたちの人生は航海のようなものです。それはその出発の時から、既に人生の旅の道連れとなる親があり、仲間も一緒ですが、それだけでなく、私たちクリスチャンは一人ひとりの人生の旅に、復活のイエスもまた共にいてくださるのです。しかし、私たちの人生は常に春ののどかな日の連続ではあり得ません。24節「そのとき、湖に激しい嵐が起こり、舟は波にのまれそうになった」。人生の嵐は突如として襲いかかって来ます。病気のことも、苦しみも、愛する人との別れ、このようなものはわたしたちが求めて与えられたものではな
2018年04月06日 06:55
聖書 フィリピの信徒への手紙4章4-7節
水元教会では、2018年度の教会標語となる聖句を皆さんから応募していただきました。そして、2月4日の全体協議会で投票した結果、このフィリピの信徒への手紙4章6節の聖書の言葉が選ばれました。
4章2-3節に、フィリピの教会にあるエボディアとシンティケという二人の婦人が熱心に教会生活をしておられたわけですが、この二人に主にあって同じ思いを抱いてほしいと願っています。二人の婦人の間に一致がないということを、パウロは非常に心配をしているのです。それは二人の間に他者へに深い愛情が欠けているということを指摘していると思いますが、教会の中で共にくびきを負うという
2018年04月05日 10:49
2018.3.26~31受難週祈祷会 と イースターエッグ作り
イースター前の一週間、水元教会では毎朝10:30から受難週祈祷会を持ちました。
昨年までは、夜に祈祷会をしていましたが教会員の日常生活を考慮して朝に行うことにしました。
婦人の方々が集まりやすく、毎日7~8名の方々が集いました。
最終日の土曜日には小さな女の子もお母さんと一緒に加わってお祈りをしました。
それから、土曜日には祈祷会の後でイースターエッグ作りもしました!
ね・・・たくさん出来ました!
大きな卵は、エッグラップに入らなくて(笑)・・・にわとりさんのカバーを付けました。
2018年03月27日 06:05
聖書 マタイによる福音書28章1-10節
主イエス・キリストが十字架につけられて死なれた後、それを取り囲む人たちにとっては、様々な反応があったことが福音書に記されています。弟子たちはガリラヤに帰り、ローマの兵隊はそこを立ち去りました。キリストを十字架にかけて殺した彼らには勝利感は何もありませんでした。キリストがエルサレム入城したときに、大きな声でホサナと言って喜んで迎えた群衆は、キリストの喪失でした。キリストの死は、確かに闇の中に引きずり込んでいきました。「わたしは三日目によみがえる」と言われたキリストの言葉が、新しい恐れとなって彼らの心を揺さぶりました。1節「さて、安息日が終わって、週の初