記事のアーカイブ

2018年05月29日 18:55

2018.6.3 宣教「キリストの瞳」

聖書 マタイによる福音書9章18-26節  今朝の聖書に出て来る女性は不幸な人でした。彼女の病歴は12年間という長い年月でした。「医者に全財産を使い果たしたが、だれからも治してもらえない」と聖書は記しています。医者に全財産を使い果たすほど、彼女は必死の思いであらん限りの医療を続けて12年が過ぎていきました。一切の身代を使い果たしてしまいました。彼女の不幸はそれだけではありません。女性の出血は不浄とみなされ、彼女のふれたすべてのものは汚れたものとみなされたのです。彼女は社会生活から追放され、誰とも交わりを否定されたのです。この惨めな一人の人間にとって、キリストが町に来られたということは、新しい時
2018年05月23日 06:20

2018.5.27 宣教「ダビデの賛美」

聖書 サムエル記下12章13-25節  19節「ダビデは家臣たちがささやきあっているのを見て、子が死んだと悟り、言った。『あの子は死んだのか』彼らは答えた。『お亡くなりになりました』と、その子が死んだという情況が、繰り返し記されています。ダビデはウリヤの殺害という過去に取り返しのつかない罪を犯しました。、その罰を、今度は何の罪のない子どもの死によって償いがなされることになったというのです。当然死んでいった子供が未解決の問題として残ります。  私たちは、取り返しのつかないことを、どうしたら取り返すことができるでしょうか?新約聖書の最初にマタイ福音書1章1節からイエス・キリストの系図が記
2018年05月21日 08:46

ペンテコステ(聖霊降臨日)礼拝

5月20日(日)はペンテコステ礼拝でした。  キリスト教の三大祝日の一つ聖霊降臨日(ペンテコステ)    礼拝の宣教は使徒言行録2章1節から4節。  大人と子ども一緒の合同礼拝なので宣教の前に、  まずCSスタッフから子どもへのメッセージがありました。  とーても優しく分かりやすい絵本の読み聞かせです。    絵本の読み聞かせは、4年前のペンテコステ礼拝で受洗したMさん。  読むだけではなくて、自分の言葉で子供たちにも分かりやすいお話でした。  ただ・・・子どもの出席はゼロちょっと残念でした。でも!  絵本の読み聞かせが終わると、皆さんから思わず拍手が(笑)   和やかな素敵なペンテコステ礼拝
2018年05月15日 18:14

2018.5.20 宣教「聖霊による力」

聖書 使徒言行録2章1-4節、ローマの信徒への手紙8章26-30節  ローマ書8章26節「同様に”霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきか知りませんが、”霊”自らが言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。」これは短い言葉ですが、深い言葉だと思います。パウロは最初に「弱いわたしたち」と言っています。パウロはキリストを信じ、キリストが主であることを告白した人です。世間の人は、信仰を持っている人は強い人間だ考えているように思います。パウロはキリストを信じ、キリストが主であることを告白した人です。しかし、パウロ自身は肉体的な持病を持っていました。またそれだけ
2018年05月09日 07:32

2018.5.13 宣教「罪人を招くキリスト」

聖書 マタイによる福音書9章9-13節  今日のテキストに、多分マタイによる福音書を書いた人だと言われているマタイが登場します。マタイは、10章3節に、イエスに選ばれた12人の使徒の中の一人として記されています。マタイは、どうして主イエスの弟子になったのか。それは、9節「イエスはそこをたち、通りすがりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、『わたしに従いなさい』と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った」。と短く記されています。「わたしに従いなさい」と言われて、彼は主イエスに従いました。このようにマタイが信仰に導かれたのは、非常に単純なことでした。ただイエスの何か説明が出来ないもの
2018年05月06日 05:12

2018.5.6 宣教「悪霊を追い出すイエス」

聖書 マタイによる福音書8章28-34節  ここに登場する悪霊に取りつかれた二人は墓場で生活をしていました。人々から離れ、生きながら死んだ人間の仲間に加えられているのです。ます。彼らは、墓場から出て来ては生きている者たちを妨げます。29節「突然、彼らは叫んだ。『神の子、かまわないでくれ。まだ、その時ではないのにここに来て、我々を苦しめるのか。』」滅びの霊が、主イエスにイエスを「神の子」と呼んでいることは、悪霊は主イエスの正体を知っていたのです。  もう一つ注目したいのは、「まだ、その時ではないのに」という言葉です。「その時」とは「この世の終わりの時です。悪霊は「その時」は自分たちが滅ぼされる時
2018年04月25日 23:03

2018.4.29 宣教「ダビデとバトシェバ」

聖書 サムエル記下11章1-17節  旧約聖書の面白さとして、一つには人間の両面性を描いているところです。初代の王サウルの後を継いで、ユダ王国の基盤を築いたのはダビデであり、信仰の人として高い賜物を持っていました。一方、聖書はダビデの罪を描いています。ダビデも神に対して肯定的な人格と、罪を犯す人間性をもっているのです。ダビデの過ちについて、それはバトシェバに関わることです。ダビデは、忠実な部下のウリヤの妻バトシェバを側女にしました。ウリヤはダビデの行いに対して気がついていたと思います。ウリヤの心を察すると、命がけで戦地に行っている間に、自分の妻が側女にされたのですから、ダビデへの強い批判があり
2018年04月19日 07:17

2018.4.22 宣教「罪を赦す権威」

聖書 マタイによる福音書9章1-8節  この聖書の箇所は多くの信仰者に愛されている物語です。中風の者が、主イエスのところに人々によって運ばれてきました。その中風の者に「あなたの罪は赦される」と主イエスが言われました。8節に「群衆はこれを見て恐ろしくなり、人間にこれほどの権威をゆだねられた神を賛美した。」と記されています。 特に「人間にこれほどの権威をゆだねられた神」とは権威のある言葉を語り、わざをしておられるのは、主イエス・キリストのことです。キリストの特性にはメシアである面と、人間としての面があります。キリストは弟子たちに「お前たちは、わたしを誰と言うか」と質問されました。ペトロは「あなたは
2018年04月13日 06:22

2018.4.15 宣教「嵐の中の信仰」

聖書 マタイによる福音書8章23-27節  23節「イエスが舟に乗りこまれると、弟子たちも従った」とあります。わたしたちの人生は航海のようなものです。それはその出発の時から、既に人生の旅の道連れとなる親があり、仲間も一緒ですが、それだけでなく、私たちクリスチャンは一人ひとりの人生の旅に、復活のイエスもまた共にいてくださるのです。しかし、私たちの人生は常に春ののどかな日の連続ではあり得ません。24節「そのとき、湖に激しい嵐が起こり、舟は波にのまれそうになった」。人生の嵐は突如として襲いかかって来ます。病気のことも、苦しみも、愛する人との別れ、このようなものはわたしたちが求めて与えられたものではな
2018年04月06日 06:55

2018.4.8 宣教「神の平安」

聖書 フィリピの信徒への手紙4章4-7節  水元教会では、2018年度の教会標語となる聖句を皆さんから応募していただきました。そして、2月4日の全体協議会で投票した結果、このフィリピの信徒への手紙4章6節の聖書の言葉が選ばれました。  4章2-3節に、フィリピの教会にあるエボディアとシンティケという二人の婦人が熱心に教会生活をしておられたわけですが、この二人に主にあって同じ思いを抱いてほしいと願っています。二人の婦人の間に一致がないということを、パウロは非常に心配をしているのです。それは二人の間に他者へに深い愛情が欠けているということを指摘していると思いますが、教会の中で共にくびきを負うという

サイト内検索

お問い合わせ先

水元教会 東京都
葛飾区水元2-5-9
125-0032
03-3607-0910