記事のアーカイブ

2017年06月06日 08:22

ペンテコステ礼拝 & 祝会

感謝! ペンテコステ礼拝で、転入会式 6月4日(日)はペンテコステ(聖霊降臨日)礼拝でした。 クリスマスはイエス様のお誕生日。そしてペンテコステは教会のお誕生日です。 昨年と同じように、水元教会では「使徒言行録2章1-4節」の聖霊降臨の記事を8か国語で読みました。 日本語→ギリシャ語→英語→ドイツ語→イタリア語→ポーランド語→中国語→韓国語です! この出来事を沢山の言葉で! み~んなで分かち合いました。 そして・・・・・ 宣教は藤垣牧師より「聖霊の力」でした。 そして・・・ 昨年の12月から毎週礼拝に出席されている一人の兄弟が転入会されました。 感謝です(^_-)-☆ 皆さん、どうぞよろしくお
2017年06月01日 16:54

2017.6.4 宣教「聖霊の力」

聖書 使徒言行録2章1-13節  キリスト教が世界の宗教となっていったキーとなるのは、一番目にはペンテコステ(聖霊降臨)です。二番目はペトロ、三番目はパウロの働きです。  キリストの復活の後、50日目(ペンテコステの意味)に、120人ほどの人々が集まって祈っていたところに、その一人一人に聖霊が降りました。  この出来事は、自分たちユダヤ人は神から選ばれた選民であって、他の異邦人とは違うのだと考えていた人々が、神の聖霊を受けることによって、ユダヤ人も異邦人もないのだということに気づいたのです。聖霊降臨のペンテコステの経験は、今までユダヤ人であるとか、ギリシア人とか、他の国の者であると考えていたけ
2017年05月23日 08:07

2017.5.28 宣教「信仰の父アブラハム」

聖書 創世記13章1-18節  創世記に出てくる信仰の父と言われるアブラハムの生涯を通して考えていきたいと思います。  12章2節で神はアブラハムに「わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める。祝福の基いとなるように。」ち言われました。 なぜアブラハムが神に選ばれたのかわかりませんが、それは神の御計画の中にある「神の選び」としか言いようがありません。アブラハムの父テラはアブラハムと孫のロトと、アブラハムの妻サライとを連れて、カナンの地へ行くために、カルデアのウルを出ました。アブラハムの妻サライは不妊の女で、子どもが出来なかった。彼らの未来は開かれていない、もう血筋も閉
2017年05月21日 16:43

水元公園で野外集会

最高気温30度?! でも、木陰はとっても爽やか(^o^)  礼拝後、今年も水元公園で野外集会をしました。  5月の半ばは一年でも一番過ごしやすい季節ですよね・・・  ところが、天気予報ではこの日の最高気温は30度まで上がるとのこと・・・  ちょっと心配しましたが・・・  公園の木陰は爽やかでとーっても気持ちがいいのです(^o^)  お弁当は婦人会手作りのちらし寿司と壮年会から「からあげ」の差し入れです。  外で食べると最高のおいしさです。自己満足(笑)  さて、ここでゲームタイム。いつものようにマリ子さんの登場です。  何といっても「はないちもんめ」は、子どもの頃を思い出して・・・というより
2017年05月19日 06:43

2017.5.21 宣教「すこやかな生活」

聖書 マタイによる福音書5章27-32節  今朝の聖書の箇所は「姦淫するな」、「離婚してはならない」という戒めが記されています。  主イエスはまことに厳しい戒めを語られました。28節「みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでみ、既に心の中でその女を犯したのである」というのです。この御言葉は理解できても、だれも実行できないと思うのではないでしょうか。  姦淫の問題は結婚をどう考えるかということです。31節には離婚について語られています。「妻を離縁する者は、離縁状を渡せと命じられている」、当時のお掟では自分の妻を出したくなったら、離縁状を渡せばよかったのです。「妻を出す」というのは、不要な品物を手放
2017年05月13日 07:02

2017.5.14  宣教「怒りと和解」

聖書 マタイによる福音書5章21-26節  <中心聖句> 5:22  「わたしは言っておく。    兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。」    主イエスは律法について御自分の考えを述べられた。一番初めに出てきたのは、21節「殺すな。人を殺した者は裁きを受ける」というものでした。しかし、22節では実際に殺さなくても「兄弟に腹を立てる者は誰でも裁きを受ける」と言われたのです。これは、律法を文字だけで解釈しないで、その心を考えなさいということを主イエスは言われているのです。そして、22節ではさらに「兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に「ばか」という者は最高法院に引き渡さ
2017年05月04日 09:49

2017.5.6 宣教「世の光として」

聖書  マタイによる福音書5章14-16節  今日の世界は、政治家が過激な発言を繰り返し、非常に国益を主張するという何か危ない状況にあるように思います。それは、自由であって自由を縛り、闇の中へ入り込むような時代と言えるのではないかと思うのです。人間が光を見失い、生きる意味を見失っています。そういう時代に、どう生きて行けばよいのでしょうか。キリスト者としてどのように生きて行かねばならないでしょうか。  今日の聖句で「あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない」とあります。キリストを信じる者の生活も、世の光とされた者、世を照らす光とされた者として、誰にでも見られるということで
2017年04月27日 16:22

2017.4.30 宣教「何ということをしたのか。」

聖書 創世記4章1-15節  エバの産んだ子どもに「カイン」と「アベル」がいました。  カインは「土を耕す者」となり、アベルは「羊を飼う者」となりました。彼らはそれぞれ「主のもとに捧げ物を持って」来ました。  しかし、4~5節「主はアベルとその捧げ物に目を留められたが、カインとその捧げ物には目を留められなかった」。それはなぜか、聖書には何も記されてはいません。  5節「カインは激しく怒って顔を伏せた」6節「どうして怒るのか。どうして顔を伏せるのか。もしお前が正しいのなら、顔をあげられるはずではないか。正しくないなら、罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。お前はそれを支配せねばならな
2017年04月22日 07:26

2017.4.23 宣教「地の塩として」

聖書 マタイによる福音書5章13節 <中心聖句> 5:13 「あなたがたは地の塩である。」 ここで、「あなたがた」とは、イエスの弟子たちのことです。そういうことから言いますと、私ども信仰者ということも言えます。キリスト者は「地の塩」であるということです。また同時に信仰者の集まる教会のことを言っています。主イエスを信じるがゆえに、主の栄光を現すために選ばれた者たちが、地の塩の務めをすることになったのです。私たち信仰者が、地の塩の務めをすることが出来るのは、この主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりを受けているから、地の塩になれるというのです。  塩の意味として、まず純潔さを表しています。
2017年04月17日 10:58

主の復活! ハレルヤ!!

イースター礼拝 と 愛餐会 と ミニコンサート  4月16日(日)のイースター礼拝は、子どもと一緒の合同礼拝でした。  両親や母親と一緒に3人の女の子が出席しました。  午後からのミニコンサートに合わせて椅子の配置も少し変えました。  前奏は、オカリナとキーボードで「バッハのカンタータ147番」で礼拝が始まりました。  宣教は「復活の力」という題で藤垣牧師から。(詳細はミニノートをご参照ください。)  そして、聖餐式。 私たちのために贖いとなり十字架の上で死んでくださったイエス様  の愛を深く思い、聖餐に与りました。    礼拝後、出席者一人一人に藤垣牧師からイースターエッグとカードが手渡され

サイト内検索

お問い合わせ先

水元教会 東京都
葛飾区水元2-5-9
125-0032
03-3607-0910