記事のアーカイブ

2016年10月11日 14:57

2016.10.9 宣教「神の愛が満ちる教会」

聖書  ...
2016年10月03日 14:44

創立22周年記念礼拝 

 合同礼拝  創立記念礼拝ということで「子どもと大人」一種に礼拝を持つことにしました。  しかし、天候の関係で近隣の小学校では運動会が日曜日に変更になり・・・  ちょっと残念でしたが・・・子ども3名が出席!!!でした。  一番前の席に座りました。  今朝の宣教は「さあ、神に帰ろう」・・・放蕩息子のたとえです。  それで、大人の宣教の前に「わかりやすくやさしいお話」をしました。  礼拝後、藤垣牧師より子どもたちへの祝福のお祈りが一人一人にありました。  また、毎月第一日曜日はお誕生者の愛称讃美歌を賛美してお誕生をお祝いしています。  お返しに?・・・Sさんより感謝の讃美がありました。素晴らしい!
2016年10月03日 09:15

2016.10.2 宣教「さぁ、神に帰ろう」

聖書 ルカによる福音書15章11~32節 <中心聖句>  ⒖:21 「お父さん、    わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。                     もう息子と呼ばれる資格はありません。」    水元教会は1994年10月2日の聖日に、「水元・家の教会」がスタートいたしました。 当初は、斉藤牧師夫妻のみの礼拝もあったと聞いております。2004年に現在の以前パン屋さんであった場所を購入、2005年3月27日に、現在の教会堂で、多くの人に溢れ感謝と感動の中でイースター礼拝を持つことが出来ました。このような水元教会の原点を振り返り感謝を持って、これか
2016年09月27日 08:19

2016.9.25  宣教「疲れた者への愛」

聖書 マタイによる福音書11章28-30 <中心聖句>  11:28 「疲れた者、重荷を負う者は、      だれでもわたしのもとに来なさい。                  休ませてあげよう」    今日の聖書の言葉は、わたしたちが何度もくじけそうになった時に、立ち上がらせてくれたか分かりません。わたしも何度も失敗をしてきました。そんな時に、イエスの「わたしのもとに来なさい」というみ言葉に救われるのです。わたしたちはつまずかない人生を送ることが大切なこととは思いません。人間は失敗して、つまずくのは当たり前です。ただそのときくじけてしまわないことが大切です。人間はときにどん底を味わ
2016年09月19日 14:20

教会創立22周年記念礼拝のご案内

10月2日(日)は、教会創立22周年記念礼拝です。 水元教会は22歳になります! 昨年は、会堂を改装して、ほんの少しだけ広くなりました。 おトイレも、台所も使いやすくなりました。感謝で~す!   みんなで下記のように感謝の礼拝をささげます。 大人と子どもと一緒の礼拝ですので、ちいさなお子様もぜひご一緒に 礼拝にいらしてください。 礼拝後は、ささやかな愛餐会をいたします。みんなでお祝いしましょう。               記 月    日: 2016年10月2日(日)   記念礼拝: 10:30~12:00        ...
2016年09月19日 09:08

2016.9.18 宣教「献げるものの感謝」

聖書 「マルコによる福音書12章38-44節」 <中心聖句> 「皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活を全部入れたからである。」    38節で「律法学者に気をつけなさい。彼らは、長い衣をまとって歩き回る」ことを批判されています。わたしたちはこのような経験をすることがありませんので、自分には関係のない話だと思ってしまいます。主イエスは、律法学者が犯している過ちを問題にしています。「人一倍厳しい裁きを受けることになる」と主イエスが言われるほどの過ちは、「見せかけの」というように、自分の偽りの姿を正当化することを言い表すことです。神様
2016年09月12日 08:15

2016.9.11 宣教「いちばん偉い人」

聖書  マタイによる福音書23章1-12節 <中心聖句>  23:12 「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」    今朝はマタイ23章1-12節までを考えてみます。22章42節に「あなたがたはメシアのことをどう思うか」と主イエスは問われました。その問いをめぐって問答に続いて、8節「あなたがたは先生と呼ばれてはならない」と言われました。わたしどもも律法学者、ファリサイ人と同じ罪を犯します。教える人間がどんなに過ちを犯しかということが問題となる。人は何かを教えたがる癖をもっている。教えたがる人間が、無意識のうちに上からの目線で、人を評価して、区別することを覚えてしま
2016年09月05日 10:03

2016.9.4 宣教「神の御心に従う」

聖書 ペトロの手紙第一 4章1-6節 <中心聖句> 4:2 「もはや人間の欲望にではなく神の御心に従って   肉における残りの生涯を生きるようになるためです。」    使徒ペトロは、キリストの第一の直弟子と言われています。キリストと共に生活をし、キリストの言葉を直接に聞き、そしてイエス・キリストの十字架を目の当たりに見、さらにキリストの空の墓を見た人でした。そのペトロが書いた手紙となっていますが、この手紙の5章12節には「わたしは、忠実な僕シルワノによって、あなたがたにこのように短く手紙を書き」とわざわざ記してありますことを見ますと、ペテロ自身が自筆で書いたというよりも、ペテロが書き
2016年08月30日 20:56

暑い8月も、ようやく終わりですね。8月の最後の週は・・・

礼拝後は、やっぱりワイワイガヤガヤの愛餐会  8月は夏休みを旅行などで過ごす教会員もいらしたけれど、8月最後の28日の礼拝には みんな元気に礼拝を守ることが出来ました。感謝!  礼拝後の愛餐会もワイワイガヤガヤにぎやかです。  メニューは「ハヤシライス」それにUさんの「ポテトサラダ」、Mさんの「手作りパン」も加わって 話もはずみました。それから、「信玄餅」や「釜山のクッキー」や「気仙沼のフカヒレケーキ」!? のお土産があって、旅行に行った人も行かなかった人も共に楽しい気分に浸りました。そうそう 先週は「銚子電鉄のぬれ煎餅」もありましたね。みんなお帰りなさ~い。 (エッ、これから出かける方もいる
2016年08月29日 11:12

2016.8.28 「世の光」

聖書 マタイによる福音書5章13-16節 <中心聖句> 5:16 「人々が、あなたがたの立派な行いを見て、  あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」    14節の「あなたがたは世の光である。」と後に、「山の上にある町は、隠れることができない。」とあるのは、どういう意味でしょうか。  「世の光」と「山の上の町」と何の関係があるのでしょうか。その後15節には「また、ともし火をともして升の下に置く者はいない」とあります。これは、光というのは隠すべきものではなくて、それによって、すべてのものを照らし出すべきものであると書いているように、「山の上の町は、どこからでも見える」とい

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