2016年10月23日 17:24
ルカによる福音書24章13-32節
<中心聖句>
24:32
「二人は、『道で話しておられるとき、
また聖書を説明してくださったとき、
わたしたちの心は燃えていたではないか』と語り合った。」
今朝のテキストには、あの有名なエマオの途上のキリストのことが記されています。十字架にかけられて死んだキリストは安息日1日は墓の中に休まれました。そして、翌日の朝キリストがよみがえったといううわさが町中に語られたのです。しかし、気落ちした二人は、沈んでいく夕日に向かって歩いていました。信頼し期待していたキリストの死に直面し、愛していた存在
2016年10月16日 15:28
聖書 ルカによる福音書17章11-19節
<中心聖句>
17:17
「清くされたのは十人ではなかったか。
ほかの九人はどこにいるのか。」
今朝のテキストは「重い皮膚病を患っている10人の人をいやす」という記事です。
10人が「イエスさま、どうかわたしたちを憐れんでください」と叫んだ。イエスは「祭司のところへ行って、体を見せなさい」と言われた。彼らが祭司のところへ向かったが途中で清くされた。すると10人のうちの1人が、大声で神を賛美しながら戻って来た。この人はサマリア人だった。「イエスは清くされたのは10人ではなかったか。ほかの9人はどこにいるのか。この外国人のほかに神を
2016年10月11日 16:16
恵みがいっぱい!とーても充実の二日間を過ごしました(^^)/
10月9日の主日礼拝は、修養会の開会礼拝です。宣教は、「神の愛に満ちる教会」
今年度の水元教会の教会標語です。
雨のためかちょっぴり出席が少ないです・・・
礼拝後、各自持参の昼食を済ませて、いよいよ八王子に向けて出発です。
運転はベテランの原田さんです。よろしくお願いいたします。雨上がりの高速道路からは、
富士山が見えました!何か、うれしくなってカメラにガシャ!
高尾の森わくわくビレッジまでは1時間半程です。わりと近い!!!
ええーもう着いちゃったの!?という声もあり(笑)
さあ、オリエンテーションの後は、部屋割り。
即、
2016年10月03日 14:44
合同礼拝
創立記念礼拝ということで「子どもと大人」一種に礼拝を持つことにしました。
しかし、天候の関係で近隣の小学校では運動会が日曜日に変更になり・・・
ちょっと残念でしたが・・・子ども3名が出席!!!でした。
一番前の席に座りました。
今朝の宣教は「さあ、神に帰ろう」・・・放蕩息子のたとえです。
それで、大人の宣教の前に「わかりやすくやさしいお話」をしました。
礼拝後、藤垣牧師より子どもたちへの祝福のお祈りが一人一人にありました。
また、毎月第一日曜日はお誕生者の愛称讃美歌を賛美してお誕生をお祝いしています。
お返しに?・・・Sさんより感謝の讃美がありました。素晴らしい!
2016年10月03日 09:15
聖書 ルカによる福音書15章11~32節
<中心聖句>
⒖:21
「お父さん、
わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。
もう息子と呼ばれる資格はありません。」
水元教会は1994年10月2日の聖日に、「水元・家の教会」がスタートいたしました。
当初は、斉藤牧師夫妻のみの礼拝もあったと聞いております。2004年に現在の以前パン屋さんであった場所を購入、2005年3月27日に、現在の教会堂で、多くの人に溢れ感謝と感動の中でイースター礼拝を持つことが出来ました。このような水元教会の原点を振り返り感謝を持って、これか
2016年09月27日 08:19
聖書 マタイによる福音書11章28-30
<中心聖句>
11:28
「疲れた者、重荷を負う者は、
だれでもわたしのもとに来なさい。
休ませてあげよう」
今日の聖書の言葉は、わたしたちが何度もくじけそうになった時に、立ち上がらせてくれたか分かりません。わたしも何度も失敗をしてきました。そんな時に、イエスの「わたしのもとに来なさい」というみ言葉に救われるのです。わたしたちはつまずかない人生を送ることが大切なこととは思いません。人間は失敗して、つまずくのは当たり前です。ただそのときくじけてしまわないことが大切です。人間はときにどん底を味わ
2016年09月19日 14:20
10月2日(日)は、教会創立22周年記念礼拝です。
水元教会は22歳になります!
昨年は、会堂を改装して、ほんの少しだけ広くなりました。
おトイレも、台所も使いやすくなりました。感謝で~す!
みんなで下記のように感謝の礼拝をささげます。
大人と子どもと一緒の礼拝ですので、ちいさなお子様もぜひご一緒に
礼拝にいらしてください。
礼拝後は、ささやかな愛餐会をいたします。みんなでお祝いしましょう。
記
月 日: 2016年10月2日(日)
記念礼拝: 10:30~12:00
...
2016年09月19日 09:08
聖書 「マルコによる福音書12章38-44節」
<中心聖句>
「皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活を全部入れたからである。」
38節で「律法学者に気をつけなさい。彼らは、長い衣をまとって歩き回る」ことを批判されています。わたしたちはこのような経験をすることがありませんので、自分には関係のない話だと思ってしまいます。主イエスは、律法学者が犯している過ちを問題にしています。「人一倍厳しい裁きを受けることになる」と主イエスが言われるほどの過ちは、「見せかけの」というように、自分の偽りの姿を正当化することを言い表すことです。神様
2016年09月12日 08:15
聖書 マタイによる福音書23章1-12節
<中心聖句>
23:12
「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」
今朝はマタイ23章1-12節までを考えてみます。22章42節に「あなたがたはメシアのことをどう思うか」と主イエスは問われました。その問いをめぐって問答に続いて、8節「あなたがたは先生と呼ばれてはならない」と言われました。わたしどもも律法学者、ファリサイ人と同じ罪を犯します。教える人間がどんなに過ちを犯しかということが問題となる。人は何かを教えたがる癖をもっている。教えたがる人間が、無意識のうちに上からの目線で、人を評価して、区別することを覚えてしま