2016年05月30日 11:58
5月29日(日) 礼拝後に齋藤先生による座談会「病気と信仰」
礼拝後に、斉藤宏牧師を囲んで第二回目の「病気と信仰」のd座談会が持たれました。
副題は「弱い時こそ強い」です。
聖書はコリントの信徒への手紙Ⅱ 12章1-10節
はじめに司会者が、9節の「すると主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。
力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ。』といわれた。」を読んで、
会は、はじまりました。
斉藤先生は、パウロの神秘体験から詳しく説明をしてくださり、最後に
「人間とは神によって弱さの中でこそ、打ち勝たれる存在であ
2016年05月30日 10:07
聖書 ヨハネによる福音書21章1-14節
<中心聖句>
21章14節
「イエスが死者の中から復活した後、
弟子たちに現れたのは、
これでもう三度目である。」
この前の章の20章19節では、イエスの弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分のいる家の戸に鍵をかけていたと記されています。
そこに復活のイエスが現れ「あなたがたに平和があるように」と祝福されました。しかし、トマスはそこにいなかった。それで20章25節「トマスは言った。あの方の手に釘の跡を見、この手をそのわき腹にいれてみなければ、わたしは決して信じない」と言い張り
2016年05月23日 11:46
礼拝後のひと時を、自然のなかで・・・・楽しかったで~す(^^)/
6月22日(日)は礼拝後、水元公園に・・・
昨年に続き、今年も新緑の水元公園でみんなでお弁当を食べて楽しく過ごしました。
水元教会から徒歩で15分ぐらいの水元公園です。
が・・・・体力的?なことを考慮して(笑) 自家用車3台に分乗していきました。
もう夏を思わせるほどの好天気と気温でしたが、公園の木々に囲まれて涼しいよお・・・
畳4畳ほどのビニールシートの上で、持ち寄りのおにぎりやら。サンドイッチやら・・・
プラス壮年会からの差し入れの「から揚げ」がいっぱいで、どれから食べようかな・
2016年05月23日 10:02
聖書 エフェソの信徒への手紙6章1-4節
<中心聖句>
6章4節
「父親たち、子供を怒らせてはなりません。
主がしつけ諭されるように、育てなさい。」
今朝、読んでいただきましたエフェソの信徒への手紙6章1節~2節には「子供たち、主に結ばれている者として両親に従いなさい。それは正しいことです。父と母を敬いなさい。これは約束を伴う最初の掟です。」とあります。
これは、旧約聖書の十戒の第5の戒めを引用しています。「そうすれば、あなたは幸福になり、地上でながく生きながらえるであろう。」というのです。
 
2016年05月16日 17:37
聖霊降臨日(ペンテコステ)礼拝
聖書 使徒言行録2章1-4節
<中心聖句>
2章4節
「一同は聖霊に満たされ、
霊が語らせるままに、
他の国々の言葉で話し出した。」
...
2016年05月09日 21:06
母の日合同礼拝の準備は・・・・
母の日の8日(日)は、子どもと大人一緒の合同礼拝です。
それで前日の5月7日(土)の午後に「クッキー作り」を。
まず、いつもの土曜日の会堂掃除を終わって、ちょっとランチタイム。
誰か、お手伝いに来てくれないかなあ・・・
待っていると、玄関のドアが開いて・・・
ご近所の方がひょっこりと教会を訪ねてきてくださいました。
で・・・ご一緒にお茶をしました(^^)/
それから、クッキー作りは「子どもの教会スタッフ」で、心をこめて作りました。
合
2016年05月09日 10:32
母の日 合同礼拝
聖書 マタイによる福音書 25章31-40節
<中心聖句>
25章40節
「はっきり言っておく。
わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、
わたしにしてくれたことなのである。」
五月の第二日曜日は「母の日」です。
これは、アメリカのある教会学校の教師をされていたお母さんが亡くなり、その教え子たちがカーネーションの花を持ち寄って記念集会を持ったことから始まりました。
そこに集まった人々は天に召された母を思い起こすと同時に、自分たちの母のことを考え合いました。
やがて、この日は世
2016年05月01日 21:42
聖書 ルカによる福音書 17章5-6節
<中心聖句>
17章6節
「主は言われた。
『もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、
この桑の木に、抜け出して海に根をおろせ』
と言っても、言うことを聞くであろう。」
弟子たちは「わたしどもの信仰を増してください」とキリストに懇願しています。
しかし、この弟子たちの願いに対して、キリストは信仰を増す方法を示さず、またこれを増す約束もされませんでした。
そして、自分たちは信仰をもって歩んでいるとうぬぼれ、その自らの信仰がまだ深いところまで至っていないと考えている弟
2016年04月24日 17:10
聖書 創世記2章18-25節
<中心聖句>
2章23節
「ついに、これこそわたしの骨の骨、わたしの肉の肉。
それをこそ、女と呼ぼう。まさに、男から取られたのだから。」
男とは、ヘブライ語の「イッシュ」であり、女は「イッシャー」です。
「イッシュ」(男)から取ったのだから「イッシャー」(女)と呼ぶというのです。
「イッシュ」(男)とは、もともと「勇気ある者」「力に満ちた者」何があっても「微動だにしない」ものといういみがあり、いかにも男らしい、勇気に満ちた者のことです。「イッシャー」(女)とは「慰めるもの」の意味であると言われますが、この