2023年04月09日 05:23
聖書 ルカによる福音書24章1-12節
婦人たちは、1節「週の初めの日の明け方早く、準備しておいた香料を持って墓に行った。」のです。ところが、お墓に主イエスの遺体が見当たらない。墓の中にいた二人の人からイエスが復活されたことを告げられた婦人たちは、使徒たちにこの出来事を報告しました。11節「使徒たちは、この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった。」と記されています。12節「しかし、ペトロは立ち上がって墓へ走り、」と、ペトロは信じてもいないのに墓に走って行きました。ペトロは墓が空であることを自分の目で見届けたい思いがあったのでしょう。12節後半「この出来事に驚きながら家に帰った
2023年04月01日 11:33
聖書 ルカによる福音書22章14-23節
今週から受難週に入ります。水元教会ではこの週は毎朝10時から一時間ほどの受難週祈祷会をします。 受難週の木曜日は、主イエスが最後の晩餐を弟子たちとなさいました。15節「イエスは言われた。『苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越しの食事をしたいと、わたしは切に願っていた』」これは、いわゆる最後の晩餐です。「わたしは切に願っていた」という強い言葉が記されています。主イエスは熱い望みをもって切に一緒に食事をしたいと願われました。こういう主イエスの願いのもとで弟子たちは食卓に招かれたのです。今、私たちは聖餐式の席について小さなパン切れと小さなカップに入
2023年03月26日 17:28
2023 イースターご案内
Zoomによる受難週祈祷会
4月3日(月)~8日(土) 朝10時~11時
Zoom ID 8640313611
パスワード miz117117
イースター礼拝
4月9日(日) 朝10時半~12時
宣教 「永遠なる者」
聖書 ルカによる福音書24章1~12節
子どもの教会も大人の礼拝と合同です。
お誘い合わせていらしてください。
2023年03月26日 16:31
聖書 ルカによる福音書22章1-13節
ユダがどうしてイエスを裏切ったのかは、最大のなぞです。2節から見ていきますと「祭司長たちや律法学者たちは、イエスを殺すにはどうしたらよいかと考えていた。」彼らはユダヤ教の指導者であり、本来は神に仕え、神を畏れる人たちです。人を殺すのは神を恐れない者にして初めて可能なことです。3節「しかし、十二人の中の一人で、イスカリオテと呼ばれるユダの中に、サタンが入った」とあります。このことがユダヤ教の宗教的リーダーである律法学者、祭司長たちを喜ばせました。4節「ユダは祭司長たちや神殿守衛長たちのもとに行き、どのようにしてイエスを引き渡そうかと相談をもちかけた。」5
2023年03月20日 06:04
聖書 ルカによる福音書21章29-38節
この21章の終わりは、主イエスが語られている滅びについての大切なところです。聖書が、死ぬこと生きることについて語るとき、信仰は深く関わっています。聖書がこの問題にどのように理解しているかということを中心に考えてみたいと思います。32節と33節で「はっきり言っておく。すべてのことが起こるまでは、この時代は決して滅びない。天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」と言われました。この時代を生きている人々が滅びるかどうかということは、神が決められることです。私たち自身が、自分で自分を滅ぼすとか、もう自分の人生はだめだとか、世の中ははかないと決め込んで
2023年03月12日 05:46
聖書 ルカによる福音書21章20-28節
この主イエスの最後の説教はエルサレム神殿で行われています。28節「このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ。」主イエスは、私どもの生きて行く姿勢は身を起こして頭を上げることだと教えておられます。信仰に生きるということは、下を向いた顔ではなくて、顔を上げて上を向いて歩くことです。しかし、私たちが自分の生活を考えてみたとき、案外、身を縮めて歩いていることに気づきます。身を起こして、頭を上げて歩く時はいつでしょうか。「このようなことが起こり始めたら」と言われました。それは20節からの言葉です。エルサレム神
2023年03月05日 06:31
聖書 ルカによる福音書21章10-19節
19節「忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい」という主イエスの言葉は、忍耐することによって、あなたがたは自分の命をかち取る、命を保ち続けると約束してくださっているのです。耐えていれば、あなたがたは、自分の命を得るということです。「忍耐によって」ということは忍耐から逃げないことです。これは非常につらいことです。しかも、聖書が語る忍耐は、今しばらく我慢して、暗闇の中でじっとしていれば、やがて光が射して来るというのではありません。この忍耐について語っておられる主イエスのみ言葉には、10節「民は民に、国は国に敵対して立ち上がる」とあり、11節「そして
2023年02月26日 14:12
聖書 ルカによる福音書21章5-9節
この21章全体を通して、主イエスは一つの主題について語っています。それは世の終わりについてです。これをわたしたちは「終末」と呼んでいます。6節「あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る」と、すなわち主イエスは、必ず人間の造ったものは崩壊すると言われたのです。これは、エルサレムの都、神殿に対する神の審きを語っておられます。エルサレムの人々の傲慢な思いが、叩き潰される時が来ると言う預言です。そこで、人々はいつ、そんなことが起こるのですかと質問しましたが、主イエスは、その神殿が崩れて行くとき、あなたがたは惑
2023年02月19日 16:34
聖書 ルカによる福音書20章45-47節、21章1-4節
今朝のテキストは二つに分かれた部分を一つにして読みました。だんだんと主イエスの十字架の日が近づいてきます。この主イエスの受難は大変孤独なものでした。46節で「律法学者に気をつけなさい。彼らは長い衣をまとって歩き回りたがり、また、広場で挨拶されること、会堂では上席、宴会では上座に座ることを好む。そして、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。」と。では律法学者の何が問題かというと、広場で挨拶されることに満足する律法学者であり、見せかけの長い祈りです。どこで間違ったのか?それは「見せかけの」という言葉があるように、人に認めてもら
2023年02月12日 16:52
聖書 ルカによる福音書20章41-44節
41節「どうして人々は、『メシアはダビデの子だ』と言うのか。」と。主イエスからの問いかけはこの一言です。続いて42節「ダビデ自身が詩編の中で言っている」と、ここで旧約聖書の詩編110編の言葉を引用されました。ダビデは詩人でもあり、竪琴を奏でて歌を歌いました。44節「このようにダビデがメシアを主と呼んでいるのに、どうしてメシアがダビデの子なのか。」と言う質問で終わっています。「ダビデの子」とはいったいどういうことでしょうか。このイエスの時代はローマに支配されていました。そこに英雄待望論が出て来ます。当時の人々にとってダビデ王は理想的な王でした