2017.5.14 宣教「怒りと和解」
2017年05月13日 07:02
聖書 マタイによる福音書5章21-26節
<中心聖句> 5:22
「わたしは言っておく。
兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。」
主イエスは律法について御自分の考えを述べられた。一番初めに出てきたのは、21節「殺すな。人を殺した者は裁きを受ける」というものでした。しかし、22節では実際に殺さなくても「兄弟に腹を立てる者は誰でも裁きを受ける」と言われたのです。これは、律法を文字だけで解釈しないで、その心を考えなさいということを主イエスは言われているのです。そして、22節ではさらに「兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に「ばか」という者は最高法院に引き渡され、「愚か者」という者は火の地獄に投げ込まれる」とあります。主イエスの言われていることが、いかに厳しいことかがわかります。
23節では、怒る者は裁きにあると言って、恨みを受けているなら供え物をする前に和解しなさいというのです。「裁き」と「和解」という関係を考えますと、裁きは和解を求めます。なぜなら裁きだけで終われば、救いがありません。イエスは隣人との平和を命じています。この神との平和、自己との平和、他者との平和をイエスは言っておられます。
私たちは日曜日に礼拝をします。礼拝そのものが、和解の場所で、赦しを受ける場所と考えるのです。現代は分裂、憎しみ合う時代です。「怒り」と「恨みごと」を持つ人間の中で、「対立を絶つ」方法として、神は愛のキリスト、神が人となったという奇跡の業を通して、すべての人に真の愛を示そうとしておいでになるのです。この深い神の御旨を覚えて、私たちの主イエス・キリストを信じてゆだねて生きたいものです。