2018.9.9 宣教「この福音をすべての人に」
聖書 ローマの信徒への手紙5章1-11節
今朝のテキストは、主イエス・キリストの父なる神が、どのような救いを私どもに用意してくださっているか、救いをすでに実現してくださったかを学ぶことが出来る個所です。
パウロは、私たちが神からいただく救いとは、神によって義とされることだと語り続けています。神によって義とされるということは、正しい人間と認められたということです。すなわち「わたしたちの主イエス・キリストにより、神に対して平和を得ている」とパウロは言っています。これは神と私どもの間に平和が成り立つ、平和な関係が生まれるということです。しかし、私たちも時には自分には平和が感じられない、不安が消えないという時があります。
3節~5節「そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを、希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです」このように私たちが忍耐の中を歩む時、試練にあう時に、何度も試練にあっても、耐えられているということは、悩みの中に忍耐が生まれ、忍耐の中で練達が生まれ、練達の中で希望が生まれるという、実に激しい動きがあります。
恵みの中に立つ人間は、悩みの中でも激しく希望に向って動くことが出来る。それは、この悩みは悩みだけではないことを、忍耐が忍耐だけではないことを知っているからです。「希望はわたしたちを欺くことがありません」この望みに生きる人間は、決して辱めに会うことはない。苦難から忍耐、忍耐から練達、練達から希望へ至る歩みは、これは神の愛が私たちの存在の中心となり、あるいは私たちが生きていこうとするときの動力なのです。絶望するとき、苦難の中にあっても、神が約束しておられる栄光のゴールを目指して忍耐することができ、また「喜んで」生きることが出来る者とされていることを感謝したいと思います。