2024.6.30 宣教「なぜ、信じるのか。」
2024年06月30日 05:24
聖書 ヨハネによる福音書5章41-47節
どうしてキリストを信じられるのか。どのようにして信仰まで導かれたのか。だれが導いたのか。逆にキリストを信じることができない人から見れば、そのような問いがあるのではないでしょうか。44節の終わりに「あなたたちには、どうして信じることができようか」とあるように、信じることはできないと言われているようです。少し遡って2章24節でも「イエス御自身は彼らを信用されなかった」とあります。イエスは神の民ユダヤの人々を信用なさらなかった。なぜかと言うと、2章25節後半「イエスは、何が人間の心の中にあるかをよく知っておられたのである。」どうしたら信じられるかということに対する答えは、人間の心の中に見つからないということです。それなのに私どもが信じることができたのは、いったいなぜなのでしょうか。もう一度44節を見てみますと「お互いに相手からの誉れは受けるのに、唯一の神からの誉れは求めようとしないあなたたちには、どうして信じることができようか。」多くの人は他人の目を気にして、人からの誉れを欲しています。しかし、そのような生き方にはやがて疲れ、生きづらさを覚えていきます。そのような経験を経て、わたしたちは神のまなざしの中に自分の身を置くことに気づきました。神に焦点を合わせて生きていくこと。それが信じるということなのです。