2023.5.7 宣教「ひざまずくイエスの祈り」
2023年05月07日 04:51
聖書 ルカによる福音書22章39-46節
今朝の聖書は主イエスのゲツセマネの祈りと呼ばれている箇所です。主イエスは40節「誘惑に陥らないように祈りなさい」と弟子たちに語られ、46節ではもう一度「誘惑に陥らないように、起きて祈っていなさい」と言われました。弟子たちが誘惑に陥らない生活、そのための祈りの生活をすることをお示しになっておられると読むべきだと思います。私は、毎朝たとえば教会の前を歩いている小学生や中学生、子どもや孫を見て願うことは誘惑に負けないでほしいと、そのために祈ります。主イエスが弟子たちのために私たちすべての者のためにも祈ってくださっています。次に44節では「イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた」息ができないほどの苦しみ、もだえを表現しています。絶望的な苦しみの末に死んでしまう姿を想像します。42節に「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください」主イエスの死は、英雄としての死ではなく、罪人としての死です。それがどんなにつらく惨めであるかということを、罪人である私たちは誰も知らないのです。45節「彼らは悲しみの果てに眠り込んでいた」とあります。弟子たちはひざまずいて祈っておられる主イエスの姿を見ていましが、弟子たちは祈ることをしないで眠ってしまっていました。弟子たちは誘惑に負けて寝てしまったのです。主イエスが、私たちの身代わりとなって神の裁きを受けるために苦しみもだえ、私たちのために祈られていることを知る者は誰もいませんでした。主イエスはそういう孤独の中で十字架の死を迎えられるのです。