2023.1.22 宣教「ぶどう園の主人と農夫」
聖書 ルカによる福音書20章9-19節
主イエスの譬え話に、よく出て来るのは農夫たちです。ガリラヤにはたくさんの農園があったようです。このたとえ話の農夫たちは主人から農園を預かり働いていました。ある時、主人が農夫たちに農園経営を完全に任せて長い旅に出たようです。ぶどう園では豊かな収穫が予想されていました。やがて農夫たちの努力が報われ、その収穫の時が来ました。そこに主人の使いが現れました。農園の主人が、自分の分け前をくれと言っていると伝えました。農園の主人としての当然の権利として言いました。ところが、農夫たちはその僕を袋叩きにして帰らせてしまいました。そこで、主人はもう一人の僕を送りますが、「農夫たちはこの僕をも袋叩きにし、侮辱して何も持たせないで追い返した」のでした。そのように主人は僕を次々と送りました。そして最後に、主人は自分の愛する子を送りました。しかし、この農夫たちは、この子を殺してしまったら全部自分たちのものになると考えたというのでした。これが私どもに向けて語られた主イエスのお話です。人間は、すべて与えられて預かった仕事をしています。この体も神のものであって、自分のものは何一つないのです。しかし、暴飲暴食をしてしまいます。家族も友人もやはり神から預かっているものです。大切にしなければなりません。この農園の農夫と同じように主人からお預かりしているということです。私たちは、そのことを忘れてはならないのです。粗末にして来たのではないか、どんなに十分に生かすことができなかったのではないかかと思います。この農夫たちのように、いつの間にか考えが麻痺して、自分たちのものになると考えてはいないでしょうか。人間は神からすべてを自由に委ねられています。それほど信頼されているのです。しかし、人間の歴史を見ても人間の罪の流れは止まることがありません。この罪の流れを止めるためには、私どもの中にキリストが生きていてくださることなのです。