2018.9.30 宣教「わたしを贖う方」

2018年09月24日 17:12

聖書 ヨブ記19章1-29節

 25-27節で「私は知っている、わたしを贖う方は生きておられ、ついには塵の上に立たれるであろう。この皮膚が損なわれようとも、この身をもって、わたしは神を仰ぎ見るであろう。このわたしが仰ぎ見る、ほかならぬこの目で見る。腹の底から焦がれ、はらわたは絶え入る」と、ヨブは絶望の中で、このように語り、彼の死後に知人や親せきがヨブの名誉回復をしてくれることを望みました。25節にある「わたしを贖う者」というのは、自分にとって一番血の濃い近親者で「身請け人」になってくれる人のことです。「最後まで私の見方になってくれる私の身請け人」という意味が込められています。「ついには塵の上に立たれるであろう」と、この意味は「自分は死んで、土を被っても、その墓場の土の上まで来て私の恥を取り除いてくださる方が、わたしが墓場の下にいても土の塵の上から、この者を侮辱することは、わたしが赦さない」と、言ってくださることを確信し現わしたものです。

 私たちに与えられる苦しみの意味は、私たちには分かりません。それでも私たちは神を仰ぎ見て、どうしたらいいのかと考えながら生きています。そこで神は沈黙して語らないことが多くあります。しかし、神がいつか私たちを顧みてくださるに違いないという希望を持って生きています。ヨブ記の最後は神が登場して来ます。神がヨブをもとの境遇に戻して、二倍の財産と10人の子どもを与え、彼を労り慰め幸福のうちに後の人生を歩み終わらせます。ですが、私たちが、このヨブのように幸せな最期を与えられるとは限りません。人生の最後にどうしてこんな苦しめられるのだと叫ぶかもしれません。それでも神の救いと希望を求めて神を信じて生きていくとき、神は私たちの魂を労り慰めてくださる。そういうメッセージがヨブ記には込められています。

 

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