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2018.6.10 宣教「イエスと共にある食卓」
2018年06月06日 06:22
聖書 マタイによる福音書9章14-17節、エレミヤ書31章31-34節
14節「そのころ、ヨハネの弟子たちがイエスのところに来て、『わたしたちとファリサイ派の人々はよく断食しているのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか』と言った。」このヨハネというのは洗礼者ヨハネです。当時、信仰に熱心な人であれは、断食をして食を断つことをしました。何のためにするのかというと、神との契約が切れることを悲しんで断食がなされたと言われています。15節で主イエスは「『花婿が一緒にいる間、婚礼の客は悲しんむことができるだろうか』」という質問をされました。さらに15節の後半で「しかし、花婿が奪い取られる時が来る。その時、彼らは断食することになる」と記されています。この「花婿」とはイエスがご自分を指すたとえに使っておられます。「婚礼の客」とは花婿の友人、弟子たちです。イエスの弟子たちの生活というのは、花婿イエスと共にいる喜びとお祝いの生活であり、これがキリスト者の生活だと言われるのです。しかし、花婿と共に食事が出来ないときに「断食することになる」というのは、イエスと共にいる喜び、花婿がいなくなれば悲しみに変わるということです。
イエスは食事を心から楽しまれました。私たちの教会では礼拝の後に共に愛餐会(食事)をいたします。食事楽しみ、そこでの親睦の時を持ちます。何よりもイエスご自身がその交わりの中にいて、食卓の見えざる客として、私たちの食事の会話を耳を傾けておられます。食卓の喜びは窮屈に考えることなく食べることを楽しめばよいと思います。大切なことは、イエスがその中に一緒にいて食事をしてくださるということです。