2019.1.6 宣教「イエスにつまずく者」
2019年01月03日 17:12
聖書 マタイによる福音書13章53-58節
53節「イエスは・・・」54節「故郷にお帰りになった。」しかし「会堂で教えておられると、人々は驚いて言った。この人は、このような知恵と奇跡を行う力をどこから得たのだろう」と記されています。「驚いた」と訳されている言葉は、「びっくりしてひどく驚いてあっけにとられる」そういう意味の言葉です。こうして人々はイエスにつまずいたのです。「どこから得たのだろう」という言葉は56節にも同じ言葉が繰り返されています。イエスの教えの出どころが分からない、人々はそのことが分からないので、疑問も解決できない。人々はイエスの何につまずいたのか。イエスは大工でした。何の称号もない、肩書もない。このようにナザレの人々は、イエスの外見、イエスの姿につまずきました。ナザレの人だけが、イエスにつまずいたのではありません。ユダヤ人、律法学者だけではありません。今日でも私たちの間で繰り返されています。死んだ者がよみがえるというようなことがあるだろうか。そういうことに「つまずく」。現代は科学が発達しています、知恵は賢く見えます。エリートであることは理想に思えます。しかし、イエス・キリストはこの歴史の中に、神から離れた人間を、罪の中にある人間をどん底から救い上げるために,神が神であることを保ちながら、ナザレのイエスとして人間の世界に降りて人と共に生き、人間の弱さに触れてくださったのです。そして、今もなお、信じる者に生きていく力を与えてくださるのです。