2022.6.12 宣教「イエスの弟子になる」
2022年06月12日 07:03
聖書 ルカによる福音書14章25-35節
34節「確かに塩は良いものだ。だが、塩も塩気がなくなれば、その塩は何によって味が付けられようか。畑にも肥料にも、役立たず、外に投げ捨てられるだけだ。聞く耳のある者は聞きなさい。」これは、大変厳しい言葉です。私どものような者が、「塩」になれるのかと考えてしまいます。塩は純潔を表しています。身を清める時にも塩を身体にまいたりします。塩は物が腐るのを防ぎます。人間の生活が腐敗するのは、心の内側によることはいうまでもありません。そして、塩に塩気がなくなれば、もう取り返しがつかないと言われます。これは、塩にたとえられる福音を述べ伝えることを言っています。「塩に塩気がなくなる」とは、福音を宣べ伝える熱心さを失ったら、もとに戻すことが出来ないというのです。私たちの内なる福音そのものをも失うということです。信仰に生きることの厳しさがここで示されています。しかし、私たちには、主イエスご自身が塩になってくださるのです。ですから、私たちは主イエスによって生かされて、この主を信じて生きる者であり続けたいのです。