2023.8.27 宣教「エマオの途上で」

2023年08月27日 05:24

聖書 ルカによる福音書24章13-27節

 今朝は、有名なエマオの途上の話です。13-14節「ちょうどこの日、二人の弟子がエルサレムから60スタディオン離れたエマオという村に向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた。」と、ここから物語が始まっていきます。「ちょうどこの日」とは、日曜日の午後のことです。「二人の弟子」とはイエスを信じている人たちです。なぜ、彼らがエルサレムから離れて行くのか理由は書かれていませんが、おそらく彼らはエルサレムから自分の故郷に帰る途中だったと思われます。その途中、第三の人がそばにやってきて一緒に道を歩きはじめました。15-16節「話し合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった」彼らは、第三の人がイエスとは気がつきません。なぜ、彼らはイエスだと分からなかったのか。それは、もうイエスは死んでしまったのだから、まさかイエスが現れるわけがないと思ったのでしょう。17節「イエスは、『歩きながらやり取りしているその話は何のことですか』と言われた。二人は暗い顔をして立ち止まった。」二人の弟子は復活のイエスを認めることが出来ないのです。19-21節「イエスが『どんなことですか』と言われると、二人は言った。『ナザレのイエスのことです。この方は神と民全体の前で、行いにも言葉にも力ある預言者でした。それなのに、わたしたちの祭司長たちや議員たちは、死刑にするために引き渡して、十字架につけてしまったのです。わたしたちは、あの方こそ、イスラエルを解放してくださると望みをかけていました。しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目になります。』」彼らは自分たちが信じていたことと、実際の出来事が一致しないので、混乱しています。彼らはイエスに望みをかけていたが、今は絶望しています。しかし、25節「そこでイエスは言われた。『ああ、物分かりの悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち。」と言われました。イエスは、わたしはメシアの受難と復活を預言していたではないか。今、その通りになっている。それなのに、あなた方はなぜ信じられないのかと言われたのです。

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