2023.2.12 宣教「キリストの到来を待つ」

2023年02月12日 16:52

聖書 ルカによる福音書20章41-44節

 41節「どうして人々は、『メシアはダビデの子だ』と言うのか。」と。主イエスからの問いかけはこの一言です。続いて42節「ダビデ自身が詩編の中で言っている」と、ここで旧約聖書の詩編110編の言葉を引用されました。ダビデは詩人でもあり、竪琴を奏でて歌を歌いました。44節「このようにダビデがメシアを主と呼んでいるのに、どうしてメシアがダビデの子なのか。」と言う質問で終わっています。「ダビデの子」とはいったいどういうことでしょうか。このイエスの時代はローマに支配されていました。そこに英雄待望論が出て来ます。当時の人々にとってダビデ王は理想的な王でした。ダビデ王が死んで、その子ソロモンの時代はユダヤの国が最も経済的に繁栄した時代でしたが、その後は、国が分裂し周辺国家に植民地化されてしまいました。それから1,000年もの長い間、人々は過去の黄金時代の再現を、ダビデ王の出現を願っていたのです。さて、44節の後半は「どうしてメシアがダビデの子なのか」という質問で終わっています。答えは記されてはいません。しかし、聖霊降臨の後に弟子の代表のペトロが立ち上がって説教をしました。そのとき、この詩編の言葉が再び引用されました。使徒言行録2章34節~36節です。主イエスが十字架につけられる前には、答えがよく分からなかった質問に、ペトロは他の弟子たちと共に、立ち上がって答えました。「あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです」と。肉においては、ダビデの子、ダビデの血を受けておられる主イエスを、神は私どものメシアとなさったのです。

 

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