2020.8.2 宣教「キリストの決意」
2020年07月28日 12:54
聖書 マタイによる福音書26章36-46節
今日のテキストは主イエスが逮捕される直前、ゲツセマネでひたすらお祈りをなさったお話です。37-38節「ペトロおよびゼベダイの子二人を伴われたが、そのとき、悲しみもだえ始められた。そして、彼らに言われた。『わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい。』」主イエスは弟子たちに「わたしと共に目を覚ましていなさい」と言われたのです。主イエスの祈りはますます深くなっていきました。しかし弟子たちは眠ってしまいます。40節「あなたがたはこのように、わずか一時もわたしと共に目を覚ましていられなかったのか」と主イエスは言われました。「一時」とは約2時間ほどの長さです。私たちも二時間も祈り続ける経験はないかと思いますが、主イエスの傍で主イエスが頼んでおられるのです。なぜ弟子たちは主イエスと目を覚まして祈り続けることが出来なかったのでしょうか。しかし、私たちも「自分は主イエスの傍らにいて目を覚ましている」と言えるでしょうか。41節「誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい、心は燃えても、肉体は弱い。」これは、私どもの罪が眠らせるのです。この体も心も弱らせてしまう罪が眠らせてしまいます。しかし、主イエスと共に目を覚ましている時、主イエスの言葉を聞くとき、私どもの罪は力を持たなくなります。目を覚ますということは、しっかりと神を求めて、私どもの人生が、神の恵みによることに目を向けて生きていくことです。