2020.7.5 宣教「キリストへの愛」
2020年06月29日 12:51
聖書 マタイによる福音書26章1-13節
1節から5節でイエスはご自身が十字架につけられるために引き渡される。と言われました。それから6節「さて、イエスがベタニアで重い皮膚病の人シモンの家におられたとき、一人の女が、きわめて高価な香油の入った石膏の壺をもって近寄り、食事の席に着いておられるイエスの頭に香油を注ぎかけた。」と、ここでマタイは「一人の女」とだけ書いています。主イエスもまた、同様にこの人の名前を呼んではおられません。12節を読みますと「この人はわたしの体に香油を注いで、わたしを葬る準備をしてくれた。はっきり言っておく。世界中どこでも、この福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として」と書かれているように、この女のしたことも記念として語られるというのです。わたしを葬るとは、このイエスの死、ご自分の葬儀のことです。主イエスがどうして、この女について話をなさったかというと、弟子たちが、8節「なぜ、こんな無駄遣いをするのか。高く売って、貧しい人々に施すことが出来たのに」と言ったからです。しかし、この女の人には貧しい人も富む人も区別はありません。ただ、高価な香油を惜しみなくそそぐ、精一杯のキリストへの愛だったのです。