2022.1.16 宣教「キリストを見つめて」
2022年01月16日 16:08
聖書 ルカによる福音書11章29-36節
29節に「群衆の数がますます増えて来た」と書き始めています。群衆は主イエスの話を聞きたいから集まって来たのです。これに対する主イエスの最初の言葉は厳しいものでした。「今の時代の者たちはよこしまだ」と言われたのです。つまり「あなたがたの時代」、それは悪い時代であると言われました。なぜ主イエスはこのようなことを言われたのか。33節と34節に、主イエスは「ともし火をともして、それを穴蔵の中や、升の下に置く者はいない。入って来る人に光が見えるように、燭台の上に置く。あなたの体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、濁っていれば、体も暗い」と言われました。「目が澄んでいる」という言葉の反対は「目が濁っている」という言葉です。人は、なぜ澄んでいる目を持たないのでしょうか。これは悪の時代の特徴です。「澄んでいない目」とは、主イエスを見る目を持たないということです。だから、主イエスの招きに応えることができない時代だと言われたのです。34節「あなたの体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、濁っていれば、体も暗い。」私たちが、明るい目を、キリストを見る目を持って生きる時に「ともし火がその輝きであなたを照らすときのように」その人の全存在が輝いて来るのだと語っておられるのです。