
2017.12.24 宣教「マリアが身ごもった」
2017年12月23日 18:17
聖書 マタイによる福音書1章18-25節
クリスマスおめでとうございます。
クリスマスの記念礼拝をするにあたり、マタイ1章18節は「イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった」と書き始めています。最初にマリアが身ごもったこと。それをめぐってヨセフが思い悩んでいた時に、夢の中に天使が現れました。その天使の望みに従って、生まれた子供に、25節「その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである」ということが書かれています。ヨセフは一つの悩みにぶつかっていました。マリアが身ごもったことです。19節「夫ヨセフは正しい人であった」にもかかわらず、自分のいいなずけに子が宿ったのです。18節「聖霊によって、身ごもっていることが明らかになった」と書かれています。その聖霊が見えたわけではなく、結果として見えたのは、子供が出来ているということの事実です。乙女マリアからイエスが産まれるということは、私どもはどのように受け入れるのでしょうか?
この問題は私どもの理性的な知恵で証明できないし、説明して解決も出来ません。そういうことから信仰は生まれません。神にのみ可能なことです。神の子が生まれるというのは、まったく神の決意によるほかありません。23節「見よ、乙女が身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる」この名は「神は我々と共におられる」という意味であると記されています。神が共におられるということは、具体的にはキリストがこの世においでになったということです。最も高いものが最も低いところにまで、この世界の中にキリストは生まれたのです。このことに感謝していきたいと思います。