2018.9.16 宣教「七日の旅路」

2018年09月12日 22:17

聖書 マタイによる福音書12章1-14節

 安息日とは、神が天地創造のわざをされた七日目にお休みになったということに起源します。人々はその神の創造のみわざを賛美しました。そして、7日間のうち、1日だけ休むことが出来るこの安息日に、人々は神の創造のみわざを思い起こし、神の救いのわざを待ち望む思いを新たにしたのです。そのようにして、ユダヤの人たちは一生懸命に安息日を厳格に守りました。ユダヤ人が安息を重んじる伝統は、想像以上です。戦争になっても、安息日には戦争を休んで、そのすきをつかれて負けた記録が残っています。

 8節に「人の子は安息日の主なのである」と記されています。この人の子とは、主イエスご自身です。「安息日の主」とは、わたしこそ、安息を与える者という約束です。7節で主イエスは「わたしが求めるのは憐みであって、いけにえではない」と旧約の預言者ホセアの言葉を引用して語られています。「憐み」とは神の憐みであって、神の憐みの中で祈るとき、安らぎを憩うことが出来るのです。この神の憐みの中にある安息を知る者として、毎日を神の憐みの中で生きたいと願います。そして、私たちは、家族に対しても、また互いの信徒に対しても、憐れみをもって声をかける者になりたいと願います。

 

 

 

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