2022.11.20 宣教「主の恵みの宝」
2022年11月15日 04:51
聖書 ルカによる福音書19章11-27節
この主イエスのたとえ話は、主人が留守をするので10人の僕にそれぞれ「一ムナ」ずつを与えたというのです。主人の留守の間に働いた僕の話ですが、一ムナというのは現在のお金に換算すると100万円に相当するお金です。僕はその与えられたお金「一ムナ」を活かすか活かさないか心を働かせなければなりませんでした。問題は与えられた金額が多いか少ないかではなく、この僕たちの周囲の状況でした。12節で「ある立派な家柄の人が、王の位を受けて帰るために、遠い国へ旅立つことになった」のです。ところが14節に「しかし、国民は彼を憎んでいたので、後から使者を送り、『我々はこの人を王にいただきたくない』と言わせた」とあります。この主人は明らかに主イエスのことです。主イエスは十字架につけられて殺され、復活され、しかし、弟子たちの前には長い間、不在になってしまいます。その主人の不在の間の仕事を、委ねられた僕たちが働く時代が始まります。これは教会時代のはじまりです。教会に生きる者たちの働きが、やがて「一ムナ」が「五ムナ」になり、「五ムナ」が「十ムナ」に実を結んでいくのです。その働きには闘いが続きます。主イエスが本当に王であられるということを、私たち自身が確信をもって生き得るか、私たちはいつも問われているのです。
収穫感謝日礼拝