2018.3.18 宣教「主よ、御許に近づかん」
聖書 マタイによる福音書8章18-22節
今朝のテキストは、「弟子とは何か」または、「主イエスに従う」ということが主題です。主イエスが行かれるところ、その主イエスについて行くということを私たちは忘れてはなりません、イエスの背中を見ながら、生きていくことが出来るのかどうか、現実にそうしているかどうかということが、私どもにとって大事な問いです。19節「ある律法学者が近づいて、「先生、あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と言った」とあります。22節に「イエスは言われた。「わたしに従いなさい」と言われました。」イエスが断固として従いなさいと求めておられます。わたしたちはこれまでいろいろなものに従って来ました。しかし、イエスと出会い、自分の人生をかけて従うべき方を見出したということです。21節によりますと、「弟子の一人がイエスに「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と言った」のです。主イエスは「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい」と言われました。並行記事のルカによる福音書9章60節「あなたは行って、神の国を言い広めなさい」それを第一のこととしなさいと言われました。あなたがたは神の国を告げ知らせに行く。死人のことは死人に任せなさいと主が言われたのは、葬儀を薄情に扱ってもよいということではなくて、今大切なことは、その悲しみ、その葬儀の中にも、神の国を告げなさいと言うのです。主イエスが自分がどこへ行くかを知っておられるので、そこについて来なさいと言われるのです。神の国に生きるためにそこに生きていきなさいと言われるのです。説教の後に、讃美歌320番を歌います。「主よ、みもとに近づかん」という讃美歌を歌います。これは神のみもとにだけ故郷を持つ人間が、死に直面しても揺るがない確信を歌っている歌です。私どもの死に至る病のために、命のために、主イエスは地上の生活をなさりながら、生き続けてくださったのです。