2016.4.2 宣教「互いに赦し合いましょう」
聖書 エフェソの信徒への手紙4章25-32節
<中心聖句>
4:32
「神がキリストによって
あなたがたを赦してくださったように赦し合いなさい。」
今日から教会は2017年度の新しい年度が始まります。
その年度を迎えるにあたり、先般、水元教会で教会標語と聖句を礼拝に出席された方々で投票によって決定しました。
「互いに赦し合いましょう」という標語で、聖書の箇所はエフェソの信徒への手紙4章32節「神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように赦し合いなさい」という聖句からでした。
エフェソ書の4章25節からは私どもの信仰を持っている者の具体的な生き方が記されています。
26節「怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません」。いつまでも怒りや恨みを満ち続けることはやめた方がよいと、人間の怒りについて書いています。29節には「悪い言葉を一切口にしてはなりません。ただ聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい。」とあるように、悪い言葉を語ってはいけない。相手にとって恵みとなるような言葉を語るようにと書かれています。
30節に「神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、聖霊により、贖いの日に対して保証されているのです」とあります。「神の聖霊を悲しませてはいけません」聖霊を一つの人格的な言い方で書かれています。私たちが聖霊によって生かされるということは、自分を愛してくださる神の霊と一緒に人生の旅をするようなものです。聖霊は私どものすべてを知っていてくださる。それは私どもにとって最高の喜びであり、愛の精神を私どもに満たしてくださる方です。だから、神の霊を悲しませてはいけません。
32節「互いに親切にし、憐みの心で接し、神がキリストによって、あなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい」。キリスト者の特徴は、「親切」、「憐み」ということです。キリスト者の親切、憐みが、どこから出てくるかと言いますと、32節「神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい」この赦しの基本は愛です。神が私達を赦してくださる。キリストが私どものために十字架にかかって死なれたということです。赦しは愛です。キリストの十字架の死によって私どもは真実な愛とは何であるかということを知ることができたのです。人間の交わりを駄目にしていくのは、互いに裁き合うことです。この裁き合うものから、解き放たれていく道は「赦し合う」ことです。
「互いに赦し合いなさい」ことばを変えて申しますと「互いに愛し合いなさい」ということです。キリストの愛に生きることが、信仰によって私どもが与えられている神の恵みです。