2024.1.21 宣教「信じること、愛すること」

2024年01月21日 00:00

聖書 ヨハネによる福音書2章23-25節

 ここで、当時のエルサレムにいたユダヤ人があやふやな信仰を持っていたということが記されています。23節「イエスは過越しの間エルサレムにおられたが、そのなさったししるしを見て、多くの人がイエスの名を信じた。」とあります。イエスのしるし、奇跡が何であるかは書いていませんが、ここでイエスの奇跡が始まっています。彼らが信じた理由は、しるしを見たからでした。主イエスを自分の罪からの救い主として信じたわけではありません。24-25節「しかし、イエス御自身は彼らを信用されなかった。それはすべての人のことを知っておられ、人間について誰からも証ししてもらう必要がなかったからである。イエスは何が人間の心の中にあるかをよく知っておられたのである。」彼らはイエスを信じたがイエスは彼らを信じていませんでした。彼らの信仰は、しるしを見ての一時的な興奮状態の信仰だったからです。この信仰は時間が来ると冷めてしまいます。救いに至る信仰ではありません。イエスは、人の心の中を知っておられたということです。3章16節に「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が独りも滅びないで、永遠の命を得るためである。」とあります。信じることのできない者、愛することのできない者をあえて愛してくださったのがイエス・キリストなのです。主イエスの「愛する」ことが「信じる」ことであるとすれば、神はわたしたちを徹底して信じ切って救おうとされるのです。この神の愛に応えること、この神の愛を信じていくことが、わたしたちに求められていることです。

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