信仰と愛
2020年01月06日 16:10
マタイによる福音書21章28-32節
このたとえ話は、ある人に二人の息子がいた。父親は兄のところ行って「今日、ぶどう園へ行って働きなさい」と命じた。すると、その兄の方は「いやです」と答えましたが、考え直して出かけました。弟の方は、「お父さん、承知しました」と答えたが、実際にはぶどう園には行かなかったのです。一体どちらがお父さんの望み通りのことをしたのか、とお尋ねになりました。兄と弟の違いはどこにあるかというと、兄が「いやです」と答えながら、後に出かけて行ったのは、父と共に働くためでした。弟は「お父さん、承知しましたが答えたが、出かけなかった」のは、心を入れ替えなかったのです。父のもとへ帰ることをしませんでした。主イエスが問われているのは、この心を変えて神のみもとに変える決断です。主イエスは祭司長や長老に言われることは「あなたがたは、わたしが語っている神のことを語り、そのみ言葉に生きているようでありながら、神の望みに生きてはいない。わたしと共にぶどう園で働いていないではないか」。主イエスのように、主と共に愛の労苦の中で、ぶどう園を耕す、その歩みに生きようとしない。今私どもに問われていることもそのことです。