2016.10.30 宣教「信仰のたて」
聖書 エフェソの信徒への手紙6章10-16節
≪中心聖句>
6:15
「なおその上に、信仰を盾として取りなさい。
それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく
消すことができるのです。」
今日のテキストでは、パウロはエフェソの教会の信徒に、「悪と戦え」と、最後になって、信仰が戦いであると言っています。パウロは信仰生活を語るとき、終わりにはこれを言わなければならない、ということなのです。
信仰生活はキリストを主と仰ぐ生活です。しかし、それがそうではないという声は、私どもの外からも内からも迫ってきます。神に反するすべての力と戦ってこそ、信仰は保たれるのです。ここに至って、その敵がだれであるかがはっきりしてきました。それは悪魔です。信仰者が悪魔と戦うなどというと、古めかしいことで受け入れられないように思うかもしれません。悪魔は手をかえ、品を変えて、私どもに迫ってきます。悪魔の働きは、人間に対して起こります。それは人間の心や目を麻痺させたり無力化させたりします。わたしたちを神の国で役に立たない人間にさせます。
12節「わたしたちの戦いは血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです」。そういうことが明らかにされています。人間と悪の霊との戦いです。13節「だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げてしっかりと立つことが出来るように神の武具を身に着けなさい」「邪悪な日」とは私どもの毎日の戦いの日、試みの日です。この戦いに抵抗し、勝ち、堅く立っていくためには、わたしたちは神の武具を身に着けなければならないのです。「神の武具」とは、これは神様が私共に与えてくださるものです。私共がお金を出して買うというものではありません。
まず第一に挙げられていることは、「立って真理を帯として腰を締める」。帯をしっかりと締めるということです。第二は「正義の胸当てを着ける」。胸当ては心臓であるとか、肺であるとか、最も大切なものです。正義の胸当てをするということが大事なことです。その次に15節「平和の福音を告げる準備を履物としなさい」ということが言われています。平和とは神と人間との間の平和です。人間が神に背いたことによって、神と人間との交わりが断たれ、神の愛を受け取っていくことが出来なくなっています。神に反逆した人間が神と和解することの道は、キリストの十字架を通して与えられていくのです。神との平和が与えられていくとき、神はわたしどもに宿って下さる。共に生きていくことが出来るのです。16節「その上に信仰を盾として取りなさい」。信仰のたてとは、信じて仰ぐ方をもって生きるということです。時には自分はもうだけだと思うような、打ちのめされていくようなことがあっても、わたしの命を守ってくださるのは、キリストへの信仰です。