2020.3.22 宣教「偽善の罪」

2020年03月17日 07:29

聖書 マタイによる福音書23章13-24節

 マタイによる福音書5章から7章にある「山上の説教」には、貧しさ、悲しみ、柔和、義に対する飢え渇き、あわれみ、心の清さ、平和をつくり出しこと、義のために迫害されること、この8つのことは「幸いである」と繰り返されています。

 さて、今朝のテキスト23章13節には「律法学者たちとファリサイ派の人びと、あなたたち偽善者は不幸だ」と語っています。そして、15節、16節、23節、25節、27節、29節に「不幸」が8つ出て来ます。これは山上の説教の幸いと対比されているように思います。キリストの活動は3年程であったと言われています。伝道活動をしてきた者が、その終わりになって、喜びを持って幸いを告げることが出来ることは望むことですが、主イエスの姿はむしろ逆です。私たちも主イエスに幸いなるかなと言ってくださるのではなくて、あなた方は災いだとしか言いようのない姿を示してのではないか。

 不幸であるということばと共に続いて語られているのは「偽善」です。偽善とは偽りの善です。私たちは、時に神に仕えていると言いながら偽善を行っているものです。私たちの不信仰のゆえに、キリストは十字架に向かわれたのです。

 

 

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