2018.2.18 宣教「千歳の岩」
2018年02月13日 09:49
聖書 マタイによる福音書7章24-29節
24節「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている」ここで大切なことは、聞くことと、行うこととを分けることはできないということです。単に主イエスのお説教に過ぎないとして聞き過ごしてしまったということであるならば、それは、聞いてもいないし、信じてもいないということです。イエスの言葉を、岩だとは思っていないということです。
次に「賢い」という意味は、思いが深い、あるいは、見るべきものをしっかり見ている、正しく考えることが出来るという人の意味があります。信仰するということが、実は行いを含んでいます。神を信じること自身が、大きな行いです。信じるためには、自分の生活全体をかけた行為であり、決断があるからです。私どもの心の向きが、神に向かうということですから、神を大切に、神を優先した生活をすることになります。25節、27節でも、雨や洪水や激しい風について語られます。これは最終的には「終末のとき」を意味していますが、ここにおける賢い人は、この世で自分の知恵によって生きようとはしない人のことです。「岩の上」という意味は、頑丈でしっかりした、わたしたちの生活もゆるぎのない岩の上に立つ信仰生活を、岩と砂の比喩を用いて説明しています。主の御旨を行った者に与えられるものは、土台のしっかりした家です。山上の説教を聞いて、その生活をしたものは、岩の上に家を建てたようなものであるということが記されています。ここで語られるしっかりした家の土台は、イエス・キリストでなければなりません。