2016.12.18 宣教「受胎告知」

2016年12月15日 07:05

聖書 ルカによる福音書1章26-36節

<中心聖句>

1:28

「おめでとう。恵まれた方。

    主があなたと共におられる。」

 

 今朝のテキストに「恵み」という言葉が二度繰り返されて出てきます。28節「おめでとう、恵まれた方」という呼びかけと、30節「あなたは神から恵みをいただいた」という言葉です。この待降節にあって私ども人間にとってなにが重要であるか。それは人間に恵みがやって来るということを、待降節のメッセージとして語っているのです。

 主イエスが来るということは、恵みがやって来るということです。この恵みを受け取るというのは、私どもの生活で、試練がなくなり、悩みもなくなるということではありません。どういう状況に置かれても、どんなことの中でも感謝であり得る。それが恵みの経験です。

 マリアの人生がそれを示しています。マリアが神から恵みを受けたことは、彼女にとって感謝があったのです。マリアが幼子イエスを身ごもったことは、ヨセフはマリアをひそかに離縁しようとしたとマタイによる福音書では記されています。それはマリアにとって大きな試練でした。マリアにとっては何よりもわが子イエスが十字架に掛けられる悲惨な経験をしました。しかし、そのマリアは初代教会の中心的支えとなりました。「キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられている」ということは、待降節のマリアの恵みの経験と重なります。

 38節「マリアは言った。『わたしは主のはしためです。お言葉通り、この身になりますように』そのことがどんな試練の意味をも変える恵みだったからです。「苦しむこと」はもちろんそれ自体、良いものではありません。誰にとってもつらい経験は避けたいものです。しかし、それを通して恵みが働いているということが、信仰生活にはあることです。37節「神に出来ないことは何一つない」という言葉があります。

 神は全能である。それは当たり前ではないか。マリアに御使いガブリエルが「神に出来ないことは何一つない」と告げたのは、何のためであったのでしょうか。ガブリエルはマリアに「あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい」そのように命じ、約束された。神の約束、神のご計画を信じなさい。今言ったことは実現すると言ってくださるのです。マリアは「わたしは主のはしためです。お言葉通り、この身になりますように」「主のはしため」とは主に従う者です。マリアは「あなたが今言われた、そのお言葉がわたしにおいて、真実に起こりますように」、マリアは答えました。こうして、マリアは決意して、この神のご計画の中に組み入れられていくのです。

   

  

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