2019.9.1 宣教「天国の労働者」

2019年08月28日 05:58

聖書 マタイによる福音書20章1-16節

 一日中働いた人が、半日しか働かなかった人や1時間しか働かなかった人よりも多くの賃金を得るのは当たり前だ、それが世間の常識だと私たちは考えてしまいます。しかし、この物語の内容は全く違いました。賃金は一日中働いた人より、1時間しか働かなかった人から順に同じ1デナリオンが支払われたのです。そこで、一日中働いた人が不平を言いました。ぶどう園の主人は15節「わたしの気前のよさをねたむのか」と言われています。ここに一日中働いていた人たちの妬みが問題にされました。この主人は、神を表すものです。ぶどう園は、朝早く連れて行った者だけでもう十分に労働力は確保できていたかもしれません。しかし、一日中広場で立っている人、何の収入もない失業者がそこにいるということが、この主人の心を捉えていました。この物語のどこに自分は立っているのか問うと、夕方になっても職を得ないまま立ち続けるものと考えることもあると思います。もう日が暮れかかっているが、あなたも来なさい。1時間でもよいからわたしのために働きなさい。何もできなければ一言祈るだけでもよい。それでも永遠の命の望みに生きることが出来るのだと神は言われるのです。しかし、あるいは私たちはいつの間にか、自分は一日中十分働いた人間だと思い込んでしまっているのではないか。自分は長い信仰生活を送って来た。それなのに、後から教会に来た人の方が祝福を受けるのはどうしてなのかと、つぶやきが始まるのです。私のような者さえ、ぶどう園に迎え入れられていることを深く感謝するものでありたいのです。

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