2017.1.22  「天地創造」

2017年01月21日 07:21

聖書 創世記1章1-5節

<中心聖句>

1:1

「初めに、神は天地を創造された。」

 

 創世記から神の天地創造を通して神は何を語りかけておいでになるかを考えていきたい。

 まず、第一の創造は、1章3-5節「神は言われた。『光あれ』こうして光があった。」神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。」また1章9-10節「神は言われた。『天の下の水は一つの所に集まれ。乾いた所が現れよ。』そのようになった。神は乾いた所を地と呼び、水の集まった所を海と呼ばれた。神はこれを見て、良しとされた」この第一と第二の創造の話になっています。神の創造は、共通点としてそのセクションのところで、最期の言葉は「良しとされた」と記しています。すべて神は「良しとされた」と言われ、つまり被造物に対する「祝福」をされた。造られたものに対する、神の祝福となっています。

 神が造ったものを見て、賛美をされている言葉が、「良しとされた」ということです。21節においても同じように神は賛美されています。そして第5日の25節に獣を造られて、そしてそれに対して良しとされた。6日目の創造の間、すべて結びの言葉は、良かったと、良しとされてのです。被造物全体に対して、神は良しとされたと、神の賛美が語られています。ですから、神の創造は賛美です。創世記の初めは、人間の讃美ではなく、神ご自身がまず賛美をささげておられるということです。だから神の創造は、神に賛美されるものであるということなのです。

 だから、私ども人間は原罪をもっている罪人であるけれども、最終的には賛美される対象だということです。神の前に造られたもので、失敗作はありません。人間は一人一人が祝福されているし、この地上も神によって祝福されている対象だということが言えます。人間のとって欠けた者とか、自分を見ると掛けたところばかりです。しかし、神の前に不完全な者はありません。すべて神は完全なものとして造られて祝福を与えておられます。

 創世記の初めの言葉はすべてのものがイエス・キリストの救いが頂点となります。その全体が神の祝福の歴史であるということです。コロサイ書1章16節を読んでみましょう。天にあるものも地にあるものも、見えるものも、見えないもの、これはキリストと宇宙との関係を示しています。世界の創造主なる神は、人間の世界がどんなに進歩しても、神にはなれないし、科学が進歩しても、世界は神にはなれません。神と人間とは次元が違います。

 私たちが生きる目的は、まず私たちが神の創造の目的があったこと。そしてキリストのために生きることが正しい人間の生きる道です。この1年をキリストの栄光のために生きるものとなりたいものです。

    

 

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