2021.1.10 宣教「安住の場所はどこか」
2021年01月05日 20:40
聖書 ルカによる福音書2章39-52節
今朝の聖書の言葉は、主イエスの少年時代のエピソードを記しています。42節「イエスが12歳になった時も、両親は祭りの慣習に従って都に上った」とあります。イスラエル人はモーセの律法(申命記16章16節)に従ってエルサレム神殿に年3回行っていました。ヨセフとマリアが年に三度のエルサレムに上ることは経済的に出来なかったと思われますが、しかし過越しの祭りを祝うために、イエスを連れて行きました。ところがイエスが帰りの一団の中にいると思っていましたが、いないことに両親は1日経ってから気づきました。その日から三日もかけて、明け方から日が暮れるまでイエスを探し続けました。両親はイエスが神殿の中のサンヘドリンの学者たちの真ん中に座り「話を聞いたり質問したり」しているのを見て驚きました。主イエスは母マリアに、49節「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」と言われました。このように、少年イエスが神を「自分の父」と言われるとき、キリストを通して神が父であることを示されるのです。52節「イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された」のです。これから、イエスが「わたしを見たのは父を見たのである」(ヨハネによる福音書14勝9節)と言われたように、イエスの教え、人格、その言動において私たちは神が父であることを知ることが出来るのです。「わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だ」と言われたイエスの言葉が、次第に明らかになっていきます。